ティベリウス ( AD14-AD37 )
Denarius
19.5mm, 3.7g
AD16 - AD37 , Lugdunum
表:ティベリウス 裏:パクス(平和を擬人化した女神)
アウグストゥス
の妻リウィアの連れ子。
有能な将軍として、東方、パンノニア、ゲルマニアで軍功をあげる。 最初、
アグリッパ
の娘ウィプサニア・アグリッピーナと結婚するが、 BC12年むりやり離婚させられ、
アウグストゥス
の娘でその年死んだアグリッパの妻であったユリアと結婚させられる。 後に前妻ウィプサニア(ドルススは彼女との間の子)の 姿を一瞥して涙したと言われる。
アウグストゥス
の孫の成長とともに彼の立場は不安定になり、BC6年ロドス島に隠遁。しかし、
アウグストゥス
の孫たちが死んだり流罪になったため、ただ一人の後継者となり AD14年に
アウグストゥス
の死とともに即位する。 親衛隊長セイアヌスに絶大な信頼を寄せ、特にAD29年にカプリ島に 隠棲してからはセイアヌスが権力を恣にする。しかし、セイアヌスはAD31年に帝位簒奪を謀り失脚し、 一族友人多数が処刑される。
元老院との関係はあまり良くなく、晩年は反逆罪による裁判が多かった。 カプリ島で隠棲中に性的倒錯にふけっていると噂されていたが事実かどうかはわからない。 いずれにせよ、彼は元老院からも民衆からも反感をもたれており、AD37年の彼の死は歓迎された。
イエス・キリストが活動したのはティベリウスの治世下であり、 有名な「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」という言葉に出てくる カエサルとはティベリウスのことである。
写真のコインは Tribute Penny (貢納の貨幣)と呼ばれ、このときのコインと同タイプのグループに属しているとされる。
ゲルマニクス ( Cosul AD12,18 )
As
28.3mm, 11.4g
AD50 - AD54 , Rome
表:ゲルマニクス 裏:SC
父はリウィアの息子ドルスス、母は
アントニウス
の娘アントニア。 政治的に注目されるようになったのは、AD4年に
アウグストゥス
が ティベリウスを養子にし、その
ティベリウス
の養子としてゲルマニクスが 迎えられてからである。すなわち将来の皇帝と予定されたわけである。
AD17年に東方に使節として派遣されるが、そこで病没する。噂ではシリア総督ピソに 毒殺されたことになっているが、あまり根拠は無さそうである。
後の皇帝
ガイウス(カリグラ)
、悪名高いアグリッピーナはともに彼の遺児である。
ドルスス ( 執政官 AD15,21 )
As
26.7mm, 10.54g
22 - 23 , Rome
表:ドルスス 裏:SC
ティベリウス
と最初の妻ウィプサニア・アグリッピーナ(ゲルマニクスの妻の大アグリッピーナや
ネロ
の母の小アグリッピーナとは別人)の息子としてBC13年に生まれる。 AD22年に護民官職権を得てティベリウスの後継者の地位を明らかにされるが、 AD23年に死亡する。原因は8年後に親衛隊長セイヤヌスが処刑されてから 明らかになる。 セイヤヌスにそそのかされた妻リウィラに毒殺されたのであった。 リウィラはティベリウスまたはリウィラの母アントニアの命令により、 餓死させられた。
ポンティウス・ピラトゥス ( ユダヤの元首属吏 AD26-AD36 )
Prutah
14.7mm, 1.72g
AD30 , Caesaria
ポンティウス・ピラトゥスとラテン語風に表記するより、ギリシャ語風にポンティオ・ピラトと書いた方がなじみがあるだろう。 イエス の処刑を決定したユダヤ総督として新約聖書の4福音書に出てくる。
ヨハネ福音書によると、ピラトゥスはイエスを十字架にかける理由が無いと思っていたようだが、イエスを釈放すると反逆者に味方することになるのを怖れて処刑を認めたようだ。背景にはローマで権力をふるっていた親衛隊長セイヤヌスが処刑され不安定になっていた政治状況もあるらしい。
古代ローマ (ローマ帝国の歴史とコイン)