セプティミウス・セウェルス ( AD193 - AD211 )
Denarius
21mm, 2.68g
AD202 - AD210 , Rome
表:セプティミウス・セウェルス 裏:ウィクトリア(勝利の女神)
初のアフリカ出身の皇帝。
187年に「王と結婚する」と占われていたユリア・ドムナと結婚。 ペルティナクス帝の暗殺後の193年に軍団兵により皇帝に推戴される。 ライバルはシリア総督の
ペスケンニウス・ニゲル
とブリタンニア総督
クロディウス・アルビヌス
であったが、197年までに 彼らを鎮圧する。 211年、ブリタンニア遠征中に死の床に着く。 子供たちに「互いに仲良くせよ。兵士たちに金を与えよ。 そしてその他のことは無視せよ。」と言い残したのだが、 帝国の半分の権力では不満だったらしく、 長子
カラカラ
は次子
ゲタ
を殺してしまう。
彼の残した建造物の中では、フォロ・ロマーノに今も残る 「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」が有名である。
ユリア・ドムナ
Denarius
19.5mm, 2.57g
AD196 - AD211 , Rome
表:ユリア・ドムナ 裏:香を祭壇に置くピエタス(慈悲の女神)
Denarius
20mm, 2.87g
AD196 - AD211 , Rome
表:ユリア・ドムナ 裏:カラカラとゲタ
セプティミウス・セウェルスの妻。
カラカラ
と
ゲタ
の母。
シリアのエメサの神官の娘で187年にセプティミウス・セウェルスと結婚。 211年に夫セプティミウス・セウェルス帝が死んだ後、二人の息子
カラカラ
と ゲタが共同皇帝になったが、この二人の仲は険悪で、
カラカラ
は 母ユリア・ドムナの面前で弟
ゲタ
を殺害する。 自分の息子たちの殺し合いを目の前にしたユリア・ドムナの気持ちは どんなものであっただろうか。 想像するとやりきれないものがある。
217年に
カラカラ
が殺されたあと自殺する。
古代ローマ (ローマ帝国の歴史とコイン)