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お風呂の歴史
お風呂の歴史ドミニック・ラティ(著), 高遠 弘美(翻訳)
白水社 [文庫クセジュ] (2006-02-15)
¥ 999
ISBN:978-4560508978
西欧における入浴や水泳の歴史を簡単にまとめた本で、 ローマ世界における入浴についても20ページほどが充てられている。
他の本で同内容を読んだことのある人も多いだろうが、ローマ関係で興味深いと思われたところを挙げてみる。
- 流水をすばやくシャワーのように降りかけていたヘレニズム時代の習慣はすたれ、ゆっくりと身を沈めるローマ式入浴が広がった。
- 水泳や冷水浴を愛したセネカは、九日に一回の市の日しか浴場に行かない同時代の人々を非難した。
- ローマ市における公衆浴場の入場料は、男性4分の1アス、子ども無料で、女性はもっと高かった。(この金額の根拠については書いてなかった。)
他地域はローマ市より高かった。 - カラカラの共同浴場は昼夜営業で千人を超える入浴客を迎えることができた。ディオクレティアヌスの浴場は三千二百人の収容能力を誇った。
- 入浴の順序は、
- 発汗室(蒸気で湿った部屋なら「テピダリウム」、乾燥した部屋なら「スダトリウム」、「ラコニクム」と呼ばれた。)
- 湯浴の部屋。(「カルダリウム」熱い部屋)
- 冷水浴の部屋。(「フリギダリウム」涼しくする部屋)
- 「デストリクタリウム」(入浴後、肌かき器で体を擦る部屋)
または、「ウンクタリウム」(塗油やマッサージをしてもらう部屋)
- 共同浴場の階上に住んでいたセネカは、鉛のバーベルや競技者の喘ぎ声や物売りの叫びが混ざった耳障りな音が飛び交う騒々しい場所だと嘆いている。
中世以降はフランスを中心とした入浴事情が語られている。中世初期には入浴習慣は減ってしまったが、十三、四世紀には入浴が普及した。しかし、ルネサンス期にはまた減ってしまう。十六世紀に書かれた医学書にはペスト流行を防ぐには入浴は大敵であることまで書かれているらしい。
入浴が再び見直されるのは十八世紀になってからのことのようだ。
投稿者 augustus : 2006年12月29日 12:53
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