コンスタンティヌス1世 ( AD307 - AD337 )

コンスタンティウス2世古代ローマ (ローマ帝国の歴史とコイン)コンスタンティヌス2世
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constantinus_01 obv. constantinus_01 rev. Follis
23.5mm, 4.57g
AD310 - AD313 , Treveri
表:コンスタンティヌス1世 裏:右手を上げ左手に球を持つソル(太陽の神)


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constantinus_47 obv. constantinus_47 rev. Ae3
18.5mm, 3.2g
AD318 - AD337 , Heraclea
表:天を見上げるコンスタンティヌス1世


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constantinus_30 obv. constantinus_30 rev. Ae3
19.1mm, 2.9g
AD328 - AD329 , Nicomedia
表:コンスタンティヌス1世 裏:営門


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constantinus_41 obv. constantinus_41 rev. Ae3
19mm, 3g
AD306 - AD337
表:コンスタンティヌス1世 裏:祭壇の上に盾を奉げ持つ2柱のウィクトリア(勝利の女神)


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constantinus_16 obv. constantinus_16 rev. Ae3
18.7mm, 2.7g
AD330 - AD337 , Siscia
表:コンスタンティヌス1世 裏:2本の軍旗を間にした2人の兵士


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constantinus_49 obv. constantinus_49 rev. Ae4
16.6mm, 1.2g
AD306 - AD337 , Unknown
表:神官姿のコンスタンティヌス1世 裏:四頭立て戦車


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constantinus_52 obv. constantinus_52 rev. Follis
25mm, 6.85g
AD307 , Rome
表:副帝時代のコンスタンティヌス1世 裏:神殿の中のローマ神


コンスタンティノポリス(現イスタンブール)を建設したこと、 「ミラノの勅令」でキリスト教を公認したことで有名。 生死を賭けた戦いの前に、十字架と「これによりて勝て」 の文字を幻に見たと言う。 その後、勝利して自らの地位を確立した。 死の直前に洗礼を受けたが、妻や長男を殺すなど結構血なまぐさい印象がある。

クリスプス ( 副帝 AD317-AD326 )

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crispus_01 obv. crispus_01 rev. Half-Follis
19mm, 2.63g
AD320 , Siscia
表:軍装のクリスプス 裏:軍旗の両側にいる捕虜


コンスタンティヌスの長男。 AD324年、リキニウスとの戦いで艦隊司令官として力量を 発揮するが、326年に何故か処刑されてしまう。
一説によれば、コンスタンティヌスの後妻ファウスタが クリスプスを誘惑したが断られ、その腹いせに 冤罪を着せたというのだが、それを証明するものはない。 自分の実子に帝位継承させるために最大の障害になる皇太子を 取り除こうとしたのだろう。


ファウスタ ( アウグスタ AD324-AD326 )

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fausta_01 obv. fausta_01 rev. Ae3
20.3mm, 3.67g
AD326 - AD328 , Thessalonica
表:ファウスタ 裏:子供を抱いたスペス(希望の女神)


コンスタンティヌスの2番目の妻で、コンスタンティウス2世などの母。
ファウスタは290年くらいにマクシミアヌスの娘としてローマで生まれ、307年にコンスタンティヌスと結婚。 この結婚はマクシミアヌスとコンスタンティヌスの同盟関係のための政略結婚だったが、310年にはマクシミアヌスはコンスタンティヌスによって死においやられ、312年にはコンスタンティヌスがファウスタの兄マクセンティウスを攻め滅ぼす。
おそらく、ファウスタは3人の息子たちが競争者によって殺されるのを心配したのだろう。326年にコンスタンティヌスの先妻の子クリスプスを讒言によって死においやったと言われる。しかし、すぐにそれが明らかになってファウスタは風呂の蒸気で蒸し殺される。


ヘレナ ( アウグスタ AD324-AD330 )

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helena_01 obv. helena_01 rev. Ae3
19.5mm, 2.66g
AD327 - AD328 , Treveri
表:ヘレナ 裏:枝を持ったセクリタス(安全の女神)


250年にニコメディア近くで庶民の子として生まれる。270年にコンスタンティウス1世と結婚し、2,3年後には息子コンスタンティヌスが生まれる。 しかし、293年にディオクレティアヌスが帝国の4帝分割を行ったときに、離婚を強いられる。彼女は普通の市民として暮らしていたが、コンスタンティヌスとは連絡を取り合っていたらしい。
コンスタンティヌスが皇帝になってからは様々な名誉を与えられ、特に324年にはファウスタとともにアウグスタとされる。 キリスト教に帰依していたことでも知られ、77才のとき聖地巡礼を行い、エルサレムとベツレヘムに教会を建設させる。ヘレナが聖十字架を発見したという伝説もある。
330年に死亡する。


デルマティウス ( 副帝 AD335-AD337 )

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delmatius_01 obv. delmatius_01 rev. Ae4
16.8mm, 1.7g
AD336 - AD337 , Nicomedia
表:デルマティウス 裏:2人の兵士の間に1本の軍旗


コンスタンティヌス1世の甥。ダルマティウスとも言う。
313年にトロサ(トゥールーズ)で生まれる。335年に副帝とされ、コンスタンティヌスの後継者の一人とみなされる。 337年にコンスタンティヌスが死亡した後、父、弟、叔父、4人のいとことともに殺される。


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古代ローマ (ローマ帝国の歴史とコイン)
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