古代ローマBBS 過去ログ13

[1299] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/14(Mon) 16:42

○こうさん

いらっしゃいませ。今後ともどうぞご贔屓に。

>ローマに関する品を展示している博物館or美術館はありますか?
去年だったらポンペイ展を見に行かれたらよかったんですけど、もう終了してますね。

USJ貨幣資料館(名古屋)
ローマ時代のコインを100枚以上(?)展示しています。こういう博物館は貴重。

ワールド・コインズ・ジャパン(東京)
博物館ではないですが、ローマ時代のコインもたくさん扱っているコイン商です。こうさんは東京の人とのことですから、店頭で見せてもらうと良いですよ。


○東尋坊さん

>名前も、コンスタティヌスとコンスタティウスが交互にあって、まぎらわしいなー。
クリスプスが跡を継いでいれば紛らわしくなかったんですがねえ。

>augustusさん価格はどうですか?
ありふれていて、あまり状態が良くなくて、attribute もされていないものが、とても安価で出回っています。
状態が良くなると値段が上がり、attribute されているものにはそれに必要な人件費が上乗せされますが、それでも気楽にキリ番プレゼントにできるくらいの値段です。(^^;)
ただし、レアなものはやはりお高いですね。


[1298] ありがとう 投稿者:こう 投稿日:2002/10/14(Mon) 11:52

東尋坊さんへ

おー!! 早速のお返事、ありがとうございます。

>あなたが西の人ならいいのですが、ご紹介するのは西の方面です。

東の人(東京)でした。(^-^)
でも京都に行った際には是非「京都ギリシアローマ美術館」に行ってみたいと思います。

けっこうあるんですね。よく探してみよう。

もう12時だ。
今日の予定を早く決めなきゃ。(国立博物館はキャンセル)


[1297] 博物館or美術館 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/14(Mon) 11:17

続けての投稿で、皆さんごめんなさい。美術館というと、すぐに反応してしまうんです(^^)

こうさん、あなたは偉い! ローマに興味? いいねー。
あなたが西の人ならいいのですが、ご紹介するのは西の方面です。

京都ギリシアローマ美術館
http://www.okeihan.net/photorally/vol_1/areas/area_6_1.html?=spot_16.html

MIHOミュージアム
http://www.kimonosanpo.net/MIHO.htm

名古屋ボストン美術館
http://www.nagoya-boston.or.jp/index2.htm

岡山市立オリエント美術館
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/index.html

お勧めは、京都ギリシアローマ美術館です。収集点数が日本一と言われています。
次が、名古屋ボストン美術館。エジプトからギリシャ・ローマまで体系的に揃えている。
MIHOミュージアムは金額・考古学上の貴重さでみものです。建物・景色が素晴らしい所です。
岡山市立オリエント美術館は中東中心ですが、東ローマ帝国(現トルコ)の遺物も多くある。

これであなたも、美術館・博物館の虜になるー(^o^)/


[1296] 連休なのに、読書 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/14(Mon) 10:04

高島さんご紹介の「帝国の興亡」は興味あります。「大国の興亡」みたいかなー。
ただ、価格が価格なので、立ち読みで良かったら、図書館で予約です(^o^;)
最近、「帝国」という言葉に反応するようになりました(^^)

>結果としてはあまり役に立っていなかったような気がします

augustusさん、せっかくのアントニウス防壁がそうなんですよね、反乱が続いて最終的には放棄している。
あるイギリス人は、「カエサルが上陸して、以後、大英帝国の歴史は始まった!」とか言っている(大戦中のドイツとの違いを強調して)。
ブリテン人の子孫は、ローマ軍が来たことを喜んでいるんだね。

>「コンスタンティヌスの一族だけ集める」みたいに目標を決めておけば安全ですよ。

日本でも、教科書にも出てくるコンスタンティヌス大帝は有名です。教科書は1〜2行ですが。
でも、波瀾万丈の一族で、皇帝の近親というだけで皆殺しになったり、先妻の子が殺されたり、オドロオドロしている。
名前も、コンスタティヌスとコンスタティウスが交互にあって、まぎらわしいなー。
augustusさん価格はどうですか?


[1295] 無題 投稿者:こう 投稿日:2002/10/14(Mon) 09:36

最近、塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んで、ローマに興味を持ちました。(今まで、歴史は嫌いでした)

それで、「あっそうだ博物館に行ってみよう」と思い、国立博物館の展示品リストを調べてみたのですが、それらしい物は見つかりませんでした。

日本国内で、ローマに関する品を展示している博物館or美術館はありますか?

ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。
よろしくお願いします。


[1294] 無題 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/13(Sun) 21:03

下記書籍が10月24日新刊予定。
●『帝国の興亡 上』 日本経済新聞社 ドミニク・リーベン 予価 \3,800+税
●『帝国の興亡 下』 日本経済新聞社 ドミニク・リーベン 予価 \3,800+税
 グローバル化が進む中で一躍注目されるようになった「帝国」。帝国とは何かを明らかにし、ローマ以来の様々な帝国のパワーと限界を比較した注目の書。

下記書籍が復刊されました。
●『歴史学研究入門』 校倉書房 セニョボス、ラングロア共著 八本木浄訳 \3,800+税
 歴史学研究とはどういうものか、どういうものでなければならないかを、ソルボンヌ大学の新入生に忠告する意図からまとめられた研究方法入門書の名著。
 原書は1897年初版。歴史学研究方法に関する教科書として、古典的な名著。
 第1編 予備知識(史料探索〈史料発見法〉;「補助学」)
 第2編 分析作業(歴史的知識の一般条件;復元批判;出所批判;史料の批判的分類;文献考証と学者;解釈批判〈解釈学〉;信用性と正確性についての消極的な内的批判;個個の事実の決定)
 第3編 総合作業(歴史構成の一般条件;事実のグループ分け;構成的な推論;一般公式の構成)


[1293] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/13(Sun) 13:32

○高島賢治さん

> (2)次のキリ番を取る為、カウンターのプログラム改造をしている。
カウンターのCGIのクラッキングなんかされたら、キリ番は自由自在にされちゃいますね。(^^;)

>(8)ノーベル賞を取る決意をし、研究を始めた。
一企業の技術者がノーベル賞を取ったりするんだから、日本の企業にもまだまだ隠された力があると期待したいですね。

>壁の目的は「ここまではローマの版図」という所謂、境界線の確定が目的だった
>と書いてありました。
私もどこかで読んだような気がします。でも、記憶が定かではなくて、ひょっとしたら万里の長城の話だったりするかもしれません。(^^;)

>ネロは世間では評判悪いですが、僕は興味あるのでそうしました
カリグラやカラカラにはご興味はありませんか?(あ、冗談ですよ。^^)


○東尋坊さん

> 高島さんの示して頂いた「境界線の確定」では、アントニウス防壁以南の
> ローマ化がされていないので、弱い。
建設目的のことなら、かならずしもそうとは言えないと思います。
1)「分断」の方だって、そんなに実効をあげられたとは考えにくいです。
2)「ここまでがローマの領域である。」と蛮族に示して、それ以南の防衛に役立たせようとしたのが、うまく行かずに撤退したということかもしれません。その場合は、目的は「境界線の確定」と言えると思います。

ただ、どちらの場合もアントニヌスの長城を建設したことは、結果としてはあまり役に立っていなかったような気がします。


[1292] やっと 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/12(Sat) 21:59

いやー、以前みたいになってきましたね。

augustusさん おまけまでありがとうございます。
色々試してみます。楽しみ(^-^)/

やはり、柴田さんの「分断説」が良いみたいですね。
高島さんの示して頂いた「境界線の確定」では、アントニウス防壁以南のローマ化がされていないので、弱い。
「ブレイブ・ハート」以後も反乱は続いていました。ピクト人は手強いんですね。


[1291] レス 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/12(Sat) 15:58

◎東尋坊さんへ

||なんかここ数日のBBSさみしいすよー(^^;)
||私はここがお楽しみなんです!でも湿ってる。

キリ番騒動の後はとても静かです。原因は下記のどれかです。

(1)次のキリ番を取る為、秘密訓練をしている。
(2)次のキリ番を取る為、カウンターのプログラム改造をしている。
(3)プロ野球の日本シリーズの試合展開予想をしている。
(4)アザラシのタマちゃんの事が気になっている。
(5)来年の年賀状を書いている。
(6)再来年の年賀状を書いている。
(7)光ファイバー導入に忙しい。
(8)ノーベル賞を取る決意をし、研究を始めた。


||ということで、ピウス帝の私の疑問を聞いて下さい。
||現地の軍司令官の案をピウス帝が追認したのだろうが、国庫も十分余裕なのに、何故あんな粗末な防壁だったのか?

何かの書籍で読んだのは二つの壁のどちらかだったか失念しましたが、壁の目的は「ここまではローマの版図」という所謂、境界線の確定が目的だったと書いてありました。
確か説の一つであり、色々議論があったはずです。

||高島さん、えらい名前ですね! どれがノーメンになるのでしょうか?(^^)

確かに「hannibal.caesar.nero」にはノーメン(氏族名)はありません。以前のアカウント名を決めるとき、8文字以内で5候補を申込書に書けとあったので
第一候補 hannibal  第二候補 caesar 第三候補 augustus (以下失念)
としました。しかし決まったのは第三候補でした。ああ hannibal や caesar は誰かに取られたのです。この五年か六年前の事があったので、今
回は20文字以内と言うことで、しかもホームページから申込出来ると言うことなので、フルに使う為、4文字のネロが浮かび、こうなりました。ネ
ロは世間では評判悪いですが、僕は興味あるのでそうしました。もっとアカウントの文字が多いプロバイダーがあれば、良いんですが。


[1290] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/12(Sat) 13:39

○高島賢治さん

光ファイバー回線の開通おめでとうございます。メールアドレスも高島賢治さんらしいですね。(^^)


○東尋坊さん

先ほど、コインの梱包が終わりましたので、今日中に発送いたします。今暫くお待ち下さい。
以前の書き込みで、東尋坊さんは ebay オークションの uncleaned のコインのことに言及なさっていたと思います。私も、何か夢があるような気がして購入したことがあり、長いこと水や酢につけたりしているものが手元にあります。最近少しずつ図柄がわかるような状態になってきたものがあるんですが、手間ばかりかかるわりに、魅力的なコインはほとんど含まれていないように思います。業者にもよるのでしょうが、面白そうなものは先に除かれているんだろうと想像しています。
発送するコインに1枚おまけで、こういうコインを付けておきました。洗浄を試してみたり、お触り専用にしたり等、気楽に取り扱えるコインとしてご利用下さい。

ちなみに、水や酢の他にはオリーブオイルにつけるなんてこともやってみました。オリーブオイルのあと、洗ってから酢につけて、酢を中和しようとして炭酸水素ナトリウムを使いました。残っていた油のせいで石鹸みたいなものが表面に出来たのは面白かった。


○かなりうすさん

情報ありがとうございます。
と、なると。ベルリンよりやはり先に大英博物館を見に行くべきと言えそうですね。


○柴田さん

>私はアレを彼らをハイランドとローランドに分断し、分割するための
>防壁ではないかと思います。
分断できるくらいの効果があがっていたんでしょうか。ねらいは良いのかもしれませんが、失敗だったような気がするんです。(あ、根拠はありません。^^;)

>彼らにはスポーツのようなものだったのでしょう。
とすると、普段は娯楽も少なかったでしょうから、さぞや、スリリングなゲームだったでしょうね。
隣の族長が死んだときの襲撃は、ローマ皇帝が死んだときとは違って、ゲームというよりは実質的な襲撃の効果を上げやすかったような気がします。


○松田光生さん

> apacheも動いていますが、主な用途はmlの過去ログ閲覧です
なるほど、便利そうですね。技術関係の ML のログを、こういうふうに整理しておくと本当に役立ちそうだなと思います。

>クラックされるだけじゃなくて外部に迷惑をかけることになるのでおやめなさい
これは全く仰るとおりですね。半端でない覚悟で勉強しなければ、踏み台にすぐなっちゃいそうですよね。ところが、最近は書店などに気楽に自宅サーバを作るための本なんかが出ていて心配しています。操作方法の図解なんか書いてあったって、理屈がわかっていないと何かあったときには何もできないですよね。

> 自分の回答が「時間がない」「お金がない」のイイワケオンパレードに
> なってしまっているとつくづく感じます。
私も同様なんですよ。
「○○みたいなもの作ってくれない?」「忙しいからダメ。」
こんなのばっかり。
そのくせ、自分で面白そうだと思うとすぐにやり始めたりします。(^^;)

>足を踏み入れること自体よくよく考えねば(笑)
大丈夫。大丈夫。「コンスタンティヌスの一族だけ集める」みたいに目標を決めておけば安全ですよ。


[1289] ローマに関係ないこと 投稿者:松田光生 投稿日:2002/10/12(Sat) 10:04

大亀レスですごめんなさい。

> >自宅サーバーも設置しておりますがルーターの内側です。
> 80番のポートを開けておいて、webサーバにするってのもあるかもしれませんね。

固定IPじゃないので外向きにWebを公開するのは無理なんです(常時接続なのでIPは事実上固定されているんですけど)。それと、主な用途がファイルサーバーなので(Windows用にsamba,linux用にnfsでディレクトリを解放しています)、dmzから外部に曝すとしたらもう一台サーバーが要るのではと思ってしまいました。今のサーバーではapacheも動いていますが、主な用途はmlの過去ログ閲覧です(mhonarc という perlスクリプトでMailスプールをhtml化する)が、namazuで検索できるので便利です。

自分のサーバーを公開するというのは、事実上容量無制限のディレクトリが自由に使えると言うことですが、第一の関門は固定IPかダイナミックDNSのプロバイダに契約する、もう一台常時稼働のサーバーを用意するといったことですね(本来ならfw専用機がもう一台ほしい)。後はセキュリティに関する詳細な検討‥‥linux関連のmlなどでは、「自宅サーバーを公開したい」という相談があると「クラックされるだけじゃなくて外部に迷惑をかけることになるのでおやめなさい」というベテランのアドバイスが定番化していますから、少しナーバスになっています。

> データベースで何を管理するかと言うことですね。では、沢山のローマコインを
> 買って、そのデータベースを構築すると言うのはいかがでしょうか。

いやっ、sqlそのものがわかってないんです。postgresqlが動いていると言っても住所録をインポートしてodbc経由でWindowsのAccessから表示させてみただけで満足して後は放置しているような状態でして。‥‥Webから閲覧できるというのは確かに魅力的なんですが、DBそのものが難しいのでモチベーションが維持できない状態です。レベルが低くて情けない限りですが。

> 私の持っているクレオパトラさんは、ワールド・コインズ社から買った物では
> ありません。もう少し状態が悪いので一桁安いくらいの値段です。(一桁しか
> 安くないものを買ってしまった自分はバカだなとも思いますが。^^;)

うーん。何にお金を使うかという優先順位の問題になってきますね。
しかし、augustusさんとお話しすると、自分の回答が「時間がない」「お金がない」のイイワケオンパレードになってしまっているとつくづく感じます。

> >ここのコレクションは自費で集められているんですよね?
> はい、そうです。だから、全皇帝のコインを集めるという野望はたぶん無
> 理です。(;_;)

犠牲にされたものも多かろうと推察いたします。

> また、本物でも帝政末期の銅貨などは買いやすい値段です。有名な皇帝では、コ
> ンスタンティヌス大帝とか、テオドシウス帝なんかいかがですか?(甘い囁き^^)

足を踏み入れること自体よくよく考えねば(笑)

http://kobe.cool.ne.jp/tristan21/


[1288] ブリタニアについて 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/11(Fri) 23:57

問題の地域はピクト人のテリトリーである事が重要ではないかと思います。
彼らはケルト人の中でも丘に住むならず者として有名です。
いつでも土地を捨て、ハイランドに逃げ込みます。
映画「ブレイブ・ハート」をご覧下さい。
あんな地域に逃げ込む輩をローマの重装歩兵が掃討できるとは思えません。
私はアレを彼らをハイランドとローランドに分断し、分割するための防壁ではないかと思います。

ハドリアヌス帝が死んだ後に彼らが蜂起したのは納得できます。
彼らは部族間でも隣の族長が死んだら「とりあえず襲撃するべ。」と考える輩なのです。
現代の我々には信じられない思考パターンですが、彼らにはスポーツのようなものだったのでしょう。
防壁が粗末だったのはコストか神君の言いつけ等、様々な心理的制約があり、領土拡大には消極的だったのではないでしょうか?


[1287] 無題 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/11(Fri) 21:57

下記アドレスとなりました。

hannibal.caesar.nero@muse.ocn.ne.jp


[1286] re; 投稿者:かなりうす 投稿日:2002/10/11(Fri) 13:10

augustusさん
>なんとすごい。1000枚ですか。
よく覚えていませんがローマコインは、時代ごとに横15枚程度、縦15枚程度並んでいてそれが4つの時代ありました(15×15×4≒1000枚という計算です)
>大英博物館の方は・・・
数十年前のことなので(一体何歳なのだ?)よく覚えていません。
しかし、あまりに膨大なコレクションだったことはまちがいいありません。(もっとも、いまはどうなっているのか知りませんが・・・)

東尋坊さん
>かなりうすさんは以前からの常連の方で、当然、お受取りになってもよい所をお譲り頂きました。
常連と言えるほどのものではなく、最近では時々ROMさせていただいているだけです
コインは大切にしていただける方がお持ちになっていた方がよいと思ったので、ぜひ大切に保存してください。
>これを励みに投稿を続けてまいります。
楽しみにしております。


[1285] どうもさみしい・・・ 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/11(Fri) 01:22

augustusさんお気になさらずに、都合の良い時で結構です。

なんかここ数日のBBSさみしいすよー(^^;)
私はここがお楽しみなんです!でも湿ってる。

ということで、ピウス帝の私の疑問を聞いて下さい。
AD138にハドリアヌス帝死去、同年ピウス帝即位、ハド帝の死に合わせるようにAD139ブリタニアで先住民反乱。
AD142に鎮圧、同年アントニウス防壁建設。
1年もしないうちに作ってしまったから、簡単な作りだった。
これは、誰の進言だったのでしょうか?ピウス帝の発案とも思えません。
それに、ブリタニアの先住民の反乱鎮圧に足掛け4年も懸っている。
あの狭い地域に足掛け4年なんて、軍司令官は平凡だ。
軍団の数を増強しなかったせいもあるが。これは、ピウス帝の判断が悪い。
現地の軍司令官の案をピウス帝が追認したのだろうが、国庫も十分余裕なのに、何故あんな粗末な防壁だったのか?
ローマ人なら完璧にするはず。(リメス・ゲルマニクスを見よ!)
等々、疑問は尽きないのです。

高島さん、えらい名前ですね! どれがノーメンになるのでしょうか?(^^)




[1284] 連絡 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/10(Thu) 23:07

光ファイバー導入によりプロバイダーも変更し、色々設定に
時間もかかりレスの時間がありません。
設定が終わり次第レスします。
アカウント名は「hannibal.caesar.nero」。
メールソフトが設定できたらメールアドレスも書きます。
では。


[1283] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/10(Thu) 22:32

○IKさん

>ポールと言えば、私の場合、
私は上の二人しか知りません。あと、ポール・ニューマンってのもいますね。


○東尋坊さん

住所の連絡のmail、確かに受け取りました。
今、ちょっと多忙なので、発送は週末になります。今しばらくお待ち下さい。


[1282] キリ番繰り上げ 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/09(Wed) 20:29

コホン、この度かなりうすさんのご好意により、キリ番記念のコインを頂くこととなりました。
私、身に余る光栄であります。
かなりうすさんは以前からの常連の方で、当然、お受取りになってもよい所をお譲り頂きました。
かなりうすさん、ありがとうございますm(_ _)m

これからも、これを励みに投稿を続けてまいります。
皆様もありがとうございました。


[1281] 訂正 投稿者:IK 投稿日:2002/10/09(Wed) 20:18

ハレ(・∀・)ルヤ!!
東尋坊さん、おめでとうございます!
ともかくグーグルにさらわれなくて良かった(^^)

こないだの私の書き込みで間違いを発見。
「現代史」の著者はポール・アンダーソンではなく、
ポール・ジョンソンでしたm(_ _)m
ポール・アンダーソンはアメリカのSF作家でしたね。
ポールと言えば、私の場合、
@ポール・マッカトニー
Aポール牧
Bフレデリック・ポール
Cポール・アンダーソン
Dポール・ジョンソン
の順で出力されますので、順序を取り違えたようです。
取り合えず訂正まで。


[1280] おめでとうございます。 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/09(Wed) 18:54

キリ番について異議申し立てがありませんでした。(おおげさですが^^)

70000番のキリ番はかなりうすさんと確定しました。また、かなりうすさんがコインについては辞退されましたので、ニアピンということで東尋坊さんにキリ番記念のコインを贈らせていただきます。東尋坊さん、おめでとうございます。(パチパチパチ)
コインの送り先についてはBBSではなく、直接メールでお知らせ下さい。

ちなみに、東尋坊さんはもう既にローマコインのことを知りすぎてしまっていると思います。(^^)
ささやかなローマサイトからのささやかな記念品ですので、コインのことを良くご存じの方には期待はずれの面が大きいかと思いますが、平にご容赦を願います。 m(_ _)m


[1279] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/08(Tue) 22:56

○東尋坊さん

> ピウスのひたいのしわが2本あるのまで見えるんです。
額のしわですか。細かく観察していらっしゃいますね。(^^)


○P.M.さん

>あとはタイミングの問題ですな。
残念でした。ほんの少し遅い時間だったら良かったんですが...。


○かなりうすさん

>古代ローマだけでも1000枚近くあったと思います(目算です)。
おお、なんとすごい。1000枚ですか。さぞや迫力があったことと思います。ぜひ、見に行きたいですね。

>まぁ大英博物館には敵いませんがすばらしい
大英博物館の方は収蔵量はもちろん多いでしょうが、展示してあるのは何枚くらいなんでしょうね。ご存じでしたら教えてください。


[1278] キリ番 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/08(Tue) 14:33

かなりうすさん、ご無沙汰しております。お元気でしたか。
ご遠慮なさらなくても良かったんですが、「どなたかニアピンの大切にしていただける方に権利をお譲りしたいと存じます。」とは、奥ゆかしい。人格者かなりうすさんの面目躍如ですね。

と言うことでしたら、東尋坊さんが一番違いのニアピンとなるかと思います。プラス方向とマイナス方向の両方のニアピンを取るなんてさすがです。(^^)

一応、手続きとして異議申し立ての期間をとります。
「実はキリ版は自分だ」とか、「自分が70001だ」とか主張される方がいらっしゃいましたら、明日の18時までにこのBBSに書き込んでください。
これは、手続きの透明性を確保したいだけで、かなりうすさん、東尋坊さんを疑っているわけではありませんから、お気を悪くされないようにお願いいたします。

他のRESは後ほど帰宅してから書きます。


[1277] ご無沙汰しております 投稿者:かなりうす 投稿日:2002/10/08(Tue) 13:12

「あなたは 70000 人目のローマ市民です」
ご無沙汰しております。↑こんな表示が出てしまいました。
めったに来ないわたしがローマコインを頂くのも申し訳ないので、どなたかニアピンの大切にしていただける方に権利をお譲りしたいと存じます。

先日、ベルリンに行ってきました。
ペルガモン博物館でaugustusさんなら狂喜乱舞されるようなすばらしいローマンコインコレクションを見ました。
時代別に並べられており、古代ローマだけでも1000枚近くあったと思います(目算です)。
まぁ大英博物館には敵いませんがすばらしい逸品揃いでした。
ベルリンにあるいくつかの博物館は新古典主義建築で建てられていますが、いずれも旧東ベルリン地区にあるためあまり修復の手が入ってないのですが、それがまた味があって古代ローマの建築のようで感動しました。


[1276] しまった! 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/08(Tue) 12:53

69999番と70001番だった。70000番を外してしまった。


[1275] あなたは 69979 人目のローマ市民です。(^o^)/ 投稿者:P.M. 投稿日:2002/10/08(Tue) 12:17

今晩辺りがやまですかな?(*^o^*)
あとはタイミングの問題ですな。


[1274] また、ピウスのコインが 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/08(Tue) 11:47

皆さん、またまたで失礼します。
ピウス帝のいいものが出ているので、お知らせしたくて。
今度は、ピウスのひたいのしわが2本あるのまで見えるんです。
まるで、きのうまで使ってたみたいなんです。
資料の写真を調べても、しわのあるのは3点くらいです。
勿論、本物であるかは、私にも判断がつきません。
でも、参考までにお知らせしました。
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/49048185

実は、今日は仕事そっちのけです。


[1273] ピウス帝など 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/08(Tue) 01:23

○高島賢治さん

『ローマ皇帝とその時代』は以前に興味深く読ませていただきました。(中身は忘れちゃうんですが^^;)
ネルウァ時代の不安定な政情とか、ブルートゥス的自由と皇帝の自由の話など、面白いと思いました。

>賢帝と評価するのは元老院階級であり(史書の多くは元老院階級が書いている)、如
>何にして皇帝が元老院階級を扱ったかが、後世に賢帝と呼ばれる否かに分かれる。
これは確かに大きな要素ですね。史書に残らなければ賢帝と呼ばれることもないですよね。
ただ、ハドリアヌスのケースもあるから、そればかりでも無いんだろうなと思います。


○P.M.さん

>査読者みたい(^o^;)
同意(^^;)

>「カルプルニウス・アグリコラ総督時代にフォース・クライド線を完全に放棄した」です(;_;)
あれまあ。逆だったんですね。(^^)
それなら、アントニヌスの長城まで勢力下に置こうとしたのはかなり無理な政策だったのかもしれませんね。

>全くわからない(;_;)
理系なんだから良いんです。(^^)
もっとも、理系でラテン語が分かる人ってのも、珍しいと思いますが...。


○東尋坊さん

>五賢帝必ずしもすべて賢帝ならず。
そう、思います。ネルウァなんかも世渡りは上手いかも知れないけど、それと賢帝というのは別の話のような気がするし...。
賢帝、愚帝というのは価値判断が入るわけですから、時代により、また判断する人により変わってくるんでしょうね。

>新しい歴史観出すの面白いよね。どんどんやりましょう!
いろいろな見方を読ませてもらうのは楽しいです。


○柴田さん

BBSが荒れてしまわないようにとご心配下さっているんですね。ありがとうございます。
真面目な議論はなされていますが、ギスギスした空気にはなっていないと思うんで、この話題に興味がある間はこのまま続けていただいてOKです。

>なにやら当初のテーマから逸脱しているような気がします。
BBSの参加者の皆さまの興味、関心のおもむくままに変化して行くのだと思います。いくつかのテーマが並行して話されていくのも、今くらいの参加人数なら構わないと思います。
もし、議論に参加してくださる人が増えて、複数テーマを並行して話していくのが困難になるような嬉しい事態が発生したなら、そのときはスレッド型の掲示板の設置を検討させていただきます。

>次のテーマを明確に決め、意見を交換しましょう。
学問的な話も興味深いですし、雑談も楽しいですね。(^^)
「ブリタニア」の話、大いに興味あります。ぜひ、お話を聞かせて下さい。また、「ピウス帝のコインの話」で、まだ残っている話があればそれも聞きたいです。もちろん他の話題もOKです。
テーマは明確に決めなくても、皆さんの興味を引く話題が出てくれば自然に盛り上がると思いますから、このまま話を続けて行きましょう。

>テーマの結論を出す事は必要ないと思います。
はい、結論が出るも良し、出ないも良し。議論(あるいは雑談)の中で知識が増え、楽しみも増していきますね。

>当時はまだ共和制にしがみつく人々が多かったので、オク様も大変だったのです
仰るとおりですね。だから元老院を大事にしたわけですね。

>カリギュラ暗殺時、初めて元老院派も自分達では統治出来ない事を悟り
このときは、まだまだ共和政に戻したい人たちがいたと思います。親衛隊がクラウディウスを皇帝に擁立しちゃったんで、仕方なく追認したのだと思います。
スエトニウス「ローマ皇帝伝」の第4巻(ガイウス)60節には
> ところで陰謀者らは、誰かある人に統治権を予定していたわけではない。
> 元老院では、自由の政体を復活させることで完全に意見が一致していた
> ので、執政官は.....(中略)
> かてて加えて、何人かの議員は、意見を述べる順番がきたとき、カエサル
> たちを記憶から抹殺すること、彼らの神殿を破壊することなどを提案して
> いたほどである。
と書かれています。
ましてや、アウグストゥスのときに、専制政治を目指したりしたら、カエサル同様に暗殺された可能性が大ですね。
と言うわけで、「オク様も大変だったのです」を補強させていただきました。(^^)

>市民冠の世襲
ここまでの書き込みから考えると世襲はされていないと私は思いました。
理由1.ティベリウスが辞退している。つまり、元老院が議決してそれを辞退している。
理由2.oak-wreath のコインを即位後すぐに発行している皇帝と、何年か経ってから発行している皇帝がいる。世襲していれば、皆、即位後すぐに発行するはずだと考えられる。

>しかし、オクタヴィアヌスは、カエサルから相続した終身インペラートル
相続したのは財産の3/4とカエサルの名だけではなかったでしょうか。ちょっと、記憶が怪しいので間違っていたらお許し下さい。(^^;)

>アウグストゥスの称号とそれに伴う特権
アウグストゥスの称号は権威はあるけど、とくに特権は伴わなかったのではないかと思うのですが、いかがですか?

>元老院は静寂の後、歓呼の嵐に包まれたそうです。
「取り敢えず喜んでいるふりでもしないとやばいぞ!」と思ったのかも知れませんね。(^^)


○IKさん

>果たして問題に果敢に立ち向かった大統領と、そもそも問題を
>抑え込んだ大統領のどちらが有能だったのか、と考えてしまいますね。
確かに単なる蛮勇だったら困るわけですよね。ケネディは「フルシチョフが無理をしないはずだ」と読んだんだろうけど、これが外れていたら、もう大変。
あ、ちなみにこの辺の話は歴史として後で聞いたわけで、当時の記憶があるわけではありません。(^^)


[1272] 贋作コイン 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/08(Tue) 00:33

>ebay オークションの Reproductions

augustusさんの言う贋作コインは、USebayのことですね。
私も見ましたよ。本物なら$1000〜2000もするような物が、とてもお安い値段です。
中には、「COPY」と興醒めな刻印を打ってありますが、もしかしたらこれの方が良心的かも知れません。
悪い虫が出ないし、遺産で見つけた子供がぬか喜びとならないし。

>むしろ、ブリタニア戦役の意味とかを決めてはいかがでしょう?
>ローマについての気楽なおしゃべりをする場として意見交換にとどめるべきだと思います。

柴田さんに賛成です。
でも、ピウス帝は資料が少ないので、チョット苦しい。
でもでも、気楽なおしゃべりの場ですから、顔知らぬ同士お話をしてゆきましょう。

ところで、今朝、私のコンピュータのディスプレイが突然壊れてしまいました。
70000番を直前に、夕方まで買いに行けないので焦りました。
終業と同時に即帰り、ようやく画面と向き合っている次第です。



[1271] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/07(Mon) 23:37

ピウス帝の話はもうちょっと後で書きます。

○松田光生さん

>自宅サーバーも設置しておりますがルーターの内側です。
80番のポートを開けておいて、webサーバにするってのもあるかもしれませんね。

>一応 postgresql と php は動いていますが、使い方がわかりません(^^;)。
データベースで何を管理するかと言うことですね。では、沢山のローマコインを買って、そのデータベースを構築すると言うのはいかがでしょうか。
php が動いているのであれば、PostgreSQL のデータを読んで html を出力するのは便利だと思います。
BBSのスクリプトを書くのも良いらしいです。普通の方法と違ってデータベースを使うとロックに失敗して、ファイルを壊す心配が無いらしいです。

>ワールド・コインズ社のWebにアントニウスとクレオパトラの銀貨が出ていましたが、
>値段を見て仰天しました。
私の持っているクレオパトラさんは、ワールド・コインズ社から買った物ではありません。もう少し状態が悪いので一桁安いくらいの値段です。(一桁しか安くないものを買ってしまった自分はバカだなとも思いますが。^^;)
ワールド・コインズ社のカタログを見たときは、「この値段はいくらなんでも強気すぎるだろう」と思ったんですが、売れてしまったそうです。

>ここのコレクションは自費で集められているんですよね?
はい、そうです。だから、全皇帝のコインを集めるという野望はたぶん無理です。(;_;)

>私もなにかわかりやすいのを手元に置きたくなってきましたが、
>値段が手頃なものは素人わかりしないので難しそうですね。
>私の場合は贋作でもいいんですが。
え、偽物でもいいんですか???
偽物で良ければ ebay オークションの Reproductions のセクションを御覧になってはいかがでしょうか。
また、本物でも帝政末期の銅貨などは買いやすい値段です。有名な皇帝では、コンスタンティヌス大帝とか、テオドシウス帝なんかいかがですか?(甘い囁き^^)


○P.M.さん

>> RIC 94 As
>http://members.rogers.com/probvs/RIC.94.KUNKER.html
>よくわかりません(;_;)
Tiberius の RIC 94 と書いた方が良かったかもしれませんね。紛らわしくてすいません(^^;)
RIC は第5巻まで皇帝別で、第6巻からMINT(造幣所別)に番号が振られているんです。


○IKさん

>ア、アレキサンデル帝は賢帝ですよね(^-^)
ア、アレキサンダー大王は賢かったかもしれません。
ん?そんなこと聞いてない?(^^;)


[1270] 1269削除願います 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/07(Mon) 23:24

書いていた手紙を投稿するボタンの代わりに返信ボタンを押してしまいました。
手紙は消えるし、迷惑かけるし、穴があったらはいりたいですぅ。


[1268] ピウス、感想 投稿者:IK 投稿日:2002/10/07(Mon) 22:06

ア、アレキサンデル帝は賢帝ですよね(^-^)

ピウスに関する一連の話題、非常に勉強になっています。
ちょっと思ったのですが、最近、アイゼンハワー大統領が再評価されているとのこと。同政権時代の公文書が一斉に公表が解禁されているからだそうですが。ポール・アンダーソンの「現代史」などでは以前から評価されていましたが、余り目立たない大統領だったので、意外でした。
あらゆるコネクションを動かしながら、問題を表面化させないまま未然に解決していたようですね。「赤狩り」を別にすれば概ね平穏に推移したアイク政権時代は期せずして平穏だった訳ではないということです。
ピウスもそんな皇帝ではなかったかと、まあ素人考えですが、そんな風に思います。

アイゼンハワーも「何もしない」大統領と言われて、無能だ無能だと言われ続けてきましたが、後任の非常に有能だったケネディの時に問題が噴出したのを見ると、果たして問題に果敢に立ち向かった大統領と、そもそも問題を抑え込んだ大統領のどちらが有能だったのか、と考えてしまいますね。

もっとも、「アメリカのグラックス兄弟」であるケネディ兄弟は好きな政治家ではあります(^^)


[1267] 旅行記 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/07(Mon) 19:05

家族で日・月とまりがけで温泉へ行ってきました。
いやー、やっぱ温泉は良いですね。
リフレッシュさせていただきました。
帰ってみると、すごい書き込み量!!

なにやら当初のテーマから逸脱しているような気がします。
思い出していただきたいのは、知的好奇心を刺激したテーマは、例のコインの裏面が市民冠で飾られていたのは何故か?(ピウス帝は市民冠を使用する資格があったのか?)
だったと思います。

私の見解としては、オクタヴィアヌスが「共和制復帰宣言」を行い、以下の特権を返上した。
1:第二次三頭政治権の返上。
2:イタリア誓約の破棄。
3:世界的賛意の破棄。
この三点の特権を返上した事で課税権と徴兵権を市民と元老院に返上。
共和制への復帰を宣言しました。
元老院は静寂の後、歓呼の嵐に包まれたそうです。
しかし、オクタヴィアヌスは、カエサルから相続した終身インペラートルの権利は返上しませんでした。
元老院はアウグストゥスの称号とそれに伴う特権を彼に贈り、感謝の意を表した。
当時はまだ共和制にしがみつく人々が多かったので、オク様も大変だったのです。(カリギュラ暗殺時、初めて元老院派も自分達では統治出来ない事を悟り、帝政継続に協力したようです。)
市民冠の世襲は、はっきりとは私にもわかりません。
ただ、ディオクレティアヌス帝による帝国分割で正帝(アウグストゥス)と副帝(カエサル)の称号はそれに伴う特権によって決められていたとかんがえたからです。

ピウス帝のコインの件はここら辺で意見は出尽くしたと思います。
次のテーマを明確に決め、意見を交換しましょう。
ただ、ピウスは賢帝か?というテーマでは抽象的です。
むしろ、ブリタニア戦役の意味とかを決めてはいかがでしょう?
また、この場はaugustus 氏に提供していただいている場であり、テーマの結論を出す事は必要ないと思います。
ローマについての気楽なおしゃべりをする場として意見交換にとどめるべきだと思います。
皆さん、いかがでしょうか?


[1266] おー長文! 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/07(Mon) 08:42

やー、高島さん長文ねー。

五賢帝というのは中世に確立したそうですが、現在では新しい資料や新しい切り口で変わりつつあります。
五賢帝必ずしもすべて賢帝ならず。
後世の価値基準で、過去の歴史を判断してはならないと云いますが、我々素人にはいいでしょう。
殺人が悪の現代人から観れば、古代なんか殺人バンバンやっちゃって、スゴイよね。
新しい歴史観出すの面白いよね。どんどんやりましょう!


[1265] 本日2回目の登場(^o^)/ 投稿者:P.M. 投稿日:2002/10/06(Sun) 22:25

でも、カウンタを回すのは念のためにやめておこう!Ψ(`▽´)Ψ

■尭帝
augustusさんと東尋坊さん、どうもありがとうございました(^o^)/
で、 http://www3.justnet.ne.jp/~soya/01test/01_04kan/kohuku.html
全くわからない(;_;) 高校時代、国語の点数がとてつもなく悪かったですが、
自称『漢文のぴーちゃん』だったのに。。。(;_;)

■誤訳
「カルプルニウス・アグリコラ総督時代にフォース・クライド線を完全に放棄した」です(;_;)
こんなことでは、どっかの流行作家がよくやっているどう贔屓目に見ても意訳とは決していえない
誤訳を笑えません(;_;)
フォース・クライド線はセプティミィウス・セウェルス帝によって一時回復されてはいるようでは
あるのですが。

■augustusさん
> RIC 94 As
http://members.rogers.com/probvs/RIC.94.KUNKER.html
よくわかりません(;_;)

> 在位10年調査
私もどなたかに譲ります(^o^;)

■高島賢治さん
「長文」=『ローマ皇帝とその時代』(創文社 南川高志)の抜粋
という解釈でいいのでしょうか? 長すぎて読んでいない(^o^;)

> ピウスの経歴を読むと、ピウスはかなり上記条件を満たしています。
> 当時「賢帝」と呼ばれていたのは元老院に「都合の良い女」、いえ「都合の良い皇帝」でした。
「パンとサーカス」を大いに実践していて一般大衆にも喜ばれていたと思いますが・・・。
また、わざわざ南川先生の書物を引用せずとも、ここに書き込まれるみなさんすべてが目にしていると
思われる塩野さんの『ローマ人の物語』シリーズでも語られている結論であると思われます。
少なくともなぜ高島賢治さんがピウス皇帝を愚弟と断定的に結論付けられたかが、全くわかりません。
  ↑
査読者みたい(^o^;)

> 皇帝が「元老院を殺さぬ誓い」をしたのと、市民冠と関係がありそうな気がします。
なるほど! そういわれればそんな気もします(^o^;)

ではでは


[1264] 無題 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/06(Sun) 21:30

下記投稿は

長文1
長文2
長文3
長文4

の順で読んで下さい。

長文失礼しました。


[1263] 長文4 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/06(Sun) 21:23

ローマ帝国の政治は剥き出しの暴力による力関係や法的関係のみで成立していたのではなく
、政治支配層間・庇護−保護・家族親族関係に基づいており、皇帝が安定政権を実現しよう
とすれば、まず元老院に集う政治支配層を自己の支持者としてまとめあげねばならなかった
。その際、出身地等の点で大きな変動があったにもかかわらず全体としては依然伝統的な価
値観を有している元老院議員達に対して、イタリア、なかでも首都ローマ市を重視し、元老
院とそこに属する人々を丁重さを以て遇することが、皇帝の円滑な政治運営の秘訣であった。
一つの機関としての元老院は実質的な統治能力を失っていたし、自ら皇帝を選ぶことはなか
ったけれども、新しい皇帝に承認を与え、その死にあたっては「裁判」を行ってその統治行
為の有効性を判定するなど、皇帝を自らの代表者ないし共有物の如く位置付けていた。
元老院の力は神秘的な感すらあり、その皇帝の実質的な権限の如何にかかわらず、元老院に
敬意を払った皇帝とそうでなかった皇帝とは、その運命を異にする事が多かったのである。
皇帝と元老院・元老院議員階層と不可分の関係を失うことなく政治を行ってきたところに、
元首政の歴史の第一の特質がある。
そして皇帝は元老院階層の一員であり、この階層と共同してのみ皇帝は正しく統治権を行使
しえた。
(349頁 剥き出しの権力)だがマクシミヌスは違った。その出自・経歴・即位の状況・即位後の行動をみるならば、彼
の政権が政治支配層に何らの基盤を持たず、剥き出しの暴力に基づくところきわめて多いと
考えられよう。ここに皇帝を自らの代表者ないし共有物と位置付けていた元老院議員達の観
念は音を立てて崩れ去ったのである。
マクシミヌス帝の元老院議員階層からの完全な遊離というこの深刻な事実が生ぜしめた危機
感がゴルディアヌスを皇帝に擁立したアフリカの反乱を機に元老院に集う人々を結束させた。
二三五年のマクシミヌス帝の出現は「軍人皇帝時代」の始まりというよりは、「名実ともに
元老院議員でない者が初めて皇帝位に就いた年」と言える。
この後、マクシミヌスと同じような皇帝が皇帝が次々出現し、首都もその元老院も帝国の中
心たる意味を減じてゆく。元老院議員も三世紀後半には軍団指揮権を奪われ、属州統治の任
からも次第に排斥されるようになって、第一の政治支配層としての役割を失ってゆく。そし
て皇帝は元老院議員から一層遊離した存在になっていった。

こうしたその後の「専制君主政」への政治過程を考える時、共和政期以来政治の中枢を占め
てきた元老院議員階層と、それに基づき運営されてきた皇帝政治、いわば「アリストクラシ
ーとしての元首政」が最後の光を放った、二三八年のローマ帝国とはそのような状態にあった。
(352頁 元首政の本質)皇帝は元老院議員から決して遊離した存在ではない、というのが元首政の本質。
(358頁 社会構造の変動)最盛期ローマ帝国の政治の担い手であったのは、大土地所有者として豊かな経済的基盤に立
ち、ローマの政治的伝統の担い手を自覚しつつ、またコスモポリタン的な古典的教養を身に
つけている元老院議員であった。だが彼らは政治・軍事の実際においてはアマチュア的な存
在であった。そのような彼らのアイデンティティーは「元老院議員的生活」であった。
やがて帝国政治の担い手は、統治の現場において帝国を支えていたプロフェッショナルな人
々(騎士階級・元老院議員でない軍人)へと変わっていった。かかる政治の担い手の変化は
、帝国支配層の社会生活の質的変容を意味する。その変化はローマ帝国の社会のあり方全般
にわたったであろう。それは元首政成立時のような単なる政界再編とは異なって、社会構造
の変動という言葉で捉えるべき。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

僕なりにまとめると.........
賢帝と評価するのは元老院階級であり(史書の多くは元老院階級が書いている)、如
何にして皇帝が元老院階級を扱ったかが、後世に賢帝と呼ばれる否かに分かれる。
傾向としては........
(1)正規コーンスル等最高公職、複数軍団保有属州総督にイタリア出身元老院階級
   を任命。
(2)皇帝がイタリア出身。そして軍団指揮経験がないほうがよい。
(3)皇帝は元老院と協調し、元老院を攻撃せず、その権威を失墜させない。
(4)元老院議員を帝国政治から排斥しない。元老院を弱体化せず、皇帝専政を目指
   さない。
(5)皇帝即位の際、元老院へ挨拶、経過を弁解する。
(6)皇帝が「元老院を殺さぬ誓い」をする。
上記事項が該当するほど、賢帝とされる。「如何に元老院と協調したか」である。
しかし時代が下るにつれ、ローマ帝国辺境より蛮族(ローマにとって)の侵攻が激
しくなり、段々と最高公職、軍団指揮をイタリア出身でない騎士階級を登用するよ
うになり、皇帝も元老院を無視するようになっていく。皇帝と元老院の蜜月は終わ
り、元老院が皇帝に無視されるのを軍人皇帝時代と呼ぶ。

ピウスの経歴を読むと、ピウスはかなり上記条件を満たしています。
当時「賢帝」と呼ばれていたのは元老院に「都合の良い女」、いえ「都合の良い皇帝」でした。

□□蛇足□□
皇帝が「元老院を殺さぬ誓い」をしたのと、市民冠と関係がありそうな気がします。

長文になったので、ブリタニアについては後刻書き込みます。


[1262] 長文3 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/06(Sun) 21:22

的若い元老院議員にトラヤヌスは政界の世代交代を穏健な形でスペイン出身者に限らず広範
囲に登用。その際トラヤヌスは元老院議員達の意識・価値観に配慮し、ドミティアヌスのご
とき極端にならず政治の上で伝統的要素と新しい要素を調和させることに意を用いた。
トラヤヌスの方針はアウグストゥス的であった。トラヤヌスは自らが属州出身ゆえ、ことさ
らイタリアや首都に対する配慮をし、今はドミティアヌス治世とは異なると宣伝し「自由」
を謳った。元老院議員達は反対する根拠を失い、皇帝と元老院との関係は良好となり、内政
上の安定が確立した。
(179頁)ネルウァは元老院議員を殺さないと宣誓。
(181頁 五賢帝下のリーベルタース)皇帝のリーベルタース(自由)と元老院議員のリーベルタースとが統一を見、議員達が皇帝
政治の下でも「リーベルタースの時代」(共和制時代)と同様に美徳が実現できると認識す
るに至ったこと、これが賞賛されてきた五賢帝時代の「自由」の姿。
(183頁 リーベルタース)二つのリーベルタースの一致は現実には皇帝政治あり方や皇帝の力量に大きく依存。政治上
の問題が生じ、皇帝が元老院議員や近衛隊を掌握できなかったりすると、たちまち崩壊の危
機に瀕した(ハドリアヌス帝初期)。そして三世紀の混乱時代に皇帝が軍隊のみを基盤にす
るようになって元老院議員階層から遊離し始め、また元老院議員が政治・軍事の指導的役割
から排除されるようになって、皇帝と元老院議員階層とが共同する政治体制としての元首政
が崩壊すると、共和政時代以来のリーベルタースはその真の担い手を失った。

(トラヤヌス帝の下で政治的安定した理由2)社会的流動性というローマ社会の特質を背景に帝国全域にわたる有力者の政治参加を積極的
に可能とする体制がトラヤヌス帝治世で誕生。「祖父の遺風」を規範とするローマ社会の持
つ政治的伝統と、拡大しきった帝国の社会的現実から生まれる新しい政治的要素の調和が穏
健な形で実現。帝国史上最初の属州皇帝トラヤヌスの登位そのものが、まさに政治的安定の
本質を端的に表現。ローマ帝国はイタリア人の国家から脱皮し、真の意味で「ローマ人」の
国家となった。
(187頁 ハドリアヌス) 今日五賢帝の中でも特に「賢帝」の名前をほしいままにしているハドリアヌスは当時の政治
支配層からは憎まれていた。その理由を説いていく。
(188頁 トラヤヌスからハドリアヌスへの皇位継承の謎)トラヤヌス帝はパルティアとの戦いの地より首都への帰還途中、小アジアセリヌスで一一七
年その生涯を閉じるが、その死の床でハドリアヌス(当時シリア総督)が養子にされたと云
われ、トラヤヌスの死の報と共にハドリアヌスが皇帝となった。だが本当にトラヤヌスが養
子縁組みの手続を行ったのかどうかは当時より疑問視された。(セリヌスの秘密)
(198頁 ハドリアヌスの「養子」に疑問) 肯定、否定説入り乱れる中でトラヤヌス妃プロティナが養子縁組に深く関わっているトラ
ヤヌスの生前からの意志を継いでか、プロティナが独断で決断したのかを含めて)事、トラ
ヤヌスからハドリアヌスへの政権移行が性急で、ハドリアヌス登位は直ちに周囲からは歓迎
されなかった。
(206頁 ハドリアヌスを考察する前にトラヤヌス治世後半を検証)トラヤヌス治世後半のローマ帝国統治を担っていた人々を調べると下記のことが判明。
(1)正規コーンスルはパトリキーで、イタリア出身が多い
(2)複数軍団保有する属州総督(実力派)はパトリキーは少ない
(3)補充コーンスルは出身地が多様
上記のことからトラヤヌス治世後半は 、イタリア出身者が圧倒的に多く指導的地位を占め
、能力と幸運に恵まれた属州出身者が幾人もコーンスル職や属州総督となっている一種の均
衡状態。
(208頁 ハドリアヌス登位)ハドリアヌスは三三歳にてコーンスルになったがパトリキーではなく、実力も功績や経験も
上記のように彼を凌ぐ有力者が何人もいた。パトリキーでも実力派としても超一流でもなか
ったハドリアヌスが大きな抵抗もなく帝位獲得・長期政治権力確立しえた理由は?
ハドリアヌスが帝国内で最大軍事力動員可能なシリア総督であった事、皇后・近衛長官の支
持だけでは安定政権は無理。その秘密に迫る。

(218頁 ハドリアヌス政権成立) ハドリアヌス政権初期の特長
(1)正規コーンスル等最高公職はスペイン出身者がほぼ独占
(2)複数軍団保有属州総督にはハドリアヌスが旧来から信を置いてきた者を配置
上記からスペイン系勢力の台頭はハドリアヌス政権の成立にあたって彼らのなした役割の重
大性を強く示唆。さらにトラヤヌスの死の床にあった近衛長官アッティアヌスがスペイン出
身なので、トラヤヌスからハドリアヌスへの政権移行がスペイン出身者を中心にして企てら
れた政治行動との推測も可能。
軍事的に重要な属州にはハドリアヌスが創出した新指導的元老院議員と旧来から信を置いて
きた者達に統治を委ね、政権安定を図った。
(224頁 ハドリアヌス帝初期の四元老院議員処刑事件)ハドリアヌス新政権は養子縁組手続で形式的には成立したが、新帝を歓迎する声ばかりでは
なく、有力者の中には嫉妬・憎悪があったであろう。登位前に他を圧する権威・実力を有し
ていなかったハドリアヌスは出身地の繋がりや信をおける友、新人材に頼りながら国内の反
発や不穏状況を克服し、政権に実質的に安定を確保せねばならなかった。不利になっている
パルティアとの戦争も早く終わらせねばならなかった。強力な競争者・反対者は排除せねば
ならなかった。四元老院議員処刑事件は誰が命じたか不明だが(ハドリアヌスか側近か)、
ハドリアヌス新政権の成立・政界再編成という不安定要因と過激行動を制御しえない強力権
力不在という状況が帰結せしめた事件。(憎まれた皇帝ハドリアヌス)
(234頁 皇帝と元老院との関係の一般考察)元首政の成立とはオクタウィアヌスの徒党の勝利であった。ところが一般的には皇帝と元老
院・元老院議員とを対極的関係において論じられがちである。しかし皇帝は元老院と切り離
された存在ではなく、元老院に集う政治支配層を自己の党派として組織化することを不断に
必要とした。彼らの協力なくしては政権維持も広大な帝国を維持も不可能。故に皇帝と元老
院と関係の良悪もまた、実質的には皇帝が元老院に集う政治支配層を自己の党派としてどの
程度掌握しているかに拠っていることになる。広く支持基盤を有し、とりわけ伝統的価値観
に基づく社会ゆえにイタリア系勢力を取り込んでおくことが、皇帝にとり元老院・元老院議
員との関係を良好に保ち協調を生み出す現実的基盤。
(230頁 ハドリアヌスが養子を次々替えた政治的思惑)ハドリアヌスが養子を次々と換えたり有力者を殺したのは、政権発足当初の自己の党派(ス
ペイン)から政治パワーをシフトさせようとしたり、また戻ったりの試行錯誤の結果。
最後の養子アントニヌスはイタリア系党派・スペイン系党派とも繋がりがあった。
ハドリアヌスからアントニヌスへの皇帝位継承策としての「養子縁組」は元老院内の最良者
選択システムでも哲学的意味も有したものでもなかった。
(235頁 ハドリアヌスが賢帝と呼ばれた理由)クーデタ同様に即位したハドリアヌスは政権支持基盤について先帝より配慮無かった為、即
位当初から専政的にもなれず権力維持と発展のため暫くは衝突・妥協を繰り返した。ハドリ
アヌスが賢帝と呼ばれるようになったのは、政権発足当時の党派(スペイン)より自立して
広範に元老院議員層を自己の党派として組織しえたから。
(266頁 政治支配層の構成) 元老院議員は一八〜二十歳頃から公職経歴を始め、委員・高級軍団将校・クァエストル・護
民官・プラエトル・コーンスル・重要属州総督・二度目のコーンスル・首都長官という階段
を昇っていった。勿論働きを認められねばコースから外れる。そしてパトリキー(貴族)は
段階を飛び越えさせてもらえた。出自も高貴でなかった者は軍団司令官として軍事的重要性
高い皇帝属州を任される傾向強く、首都を離れることが多かった。
こうした経歴固定化システムは皇帝に対し有益な役人の安定供給。
ただこのシステムを皇帝が無視するのは人々を納得されなく、皇帝の自由な決定権を拘束。
(268頁 ローマ帝国の最盛期が何故に二世紀前半に現出しえたか) 二世紀前半には伝統を破壊することなく樹立された統治システムと公職秩序が定着をみて、
伝統的(貴族・イタリア出身)社会からの人材を帝国統治に規則的に組み入れ、同時に伝統
を破壊しない適度な割合で、属州の新鮮で優れた人材をも帝国統治に役立てられたから、ロ
ーマ帝国の最盛期が二世紀前半に現出しえた。ローマが内外とも安定していた時代にあって
は、二つの基準の内前者が優先された。
(ちなみに共和政期にはノービレスが顕職に就くのは、その職の栄誉を汚すものとされた)
(297頁 セウェルスと元老院の対立)セウェルス帝は五賢帝時代以来の「皇帝と元老院との協調」から決別し、また元老院もセウ
ェルス帝を終始敵視した原因の考察。
(1)セウェルス帝は元老院との協調を破壊し、元老院を攻撃してその権威を失墜させたかどうか
(2)セウェルス帝は元老院議員を帝国政治から排斥したか。したとすればそれは元老院を弱体化さて皇帝専政を目指したものか
セウェルス帝は元老院議員を三八名殺しているが、内乱ということを考えれば、単独政権確
立のため政策上不可避な元老院内部の明確な反対者の除去とみるべき。また五賢帝のハドリ
アヌスも元老院議員を殺している。また元老院はユリアヌスの強要によりセウェルスに対し
公敵宣言しているが、これはユリアヌスの威嚇のせい。元老院は常にセウェルスを敵視した
わけでもない。またセウェルス帝は元老院を急激にイリュリア・マウレタニア・シリア出身
者で満たすことはしていないし、正規コーンスル就任者もイタリア出身パトリキーが優勢。
セウェルスが元老院を攻撃してその権威を失墜させたと取り立てて協調することは不適切。
(310頁 セウェルス帝が騎士身分を登用したのは元老院議員を排斥しようとしたのか)セウェルス帝が騎士身分を登用したのは、コンモドゥス帝とそれに続く内乱による弱体化か
ら帝国再建の政治的課題の為である。そしてこの軍事面での改革もマルクス・アウレリウス
よりの延長上にある。史書がセウェルスを評価したり非難しているのは、内乱の収拾・戦争
の成功・内政の成功を評価し、反面には内乱の結果の清算の方も強烈な印象を与えた為。
(316頁 剥き出しの権力者セウェルス帝)セウェルス帝はマルクス・アウレリウス帝と同様、戦いのため東奔西走した皇帝であった。
内乱・外征には軍隊が必要であったし、その為軍政改革も必要だった。これはアウグストゥ
ス以来の皇帝政治の裏面をあからさまに政治支配層に見せつけたであろう。そしてセウェル
ス帝はそうしたふうに見られても配慮しなかった。政策の実質的価値以上にセウェルス帝を
軍隊に寄りかかった変革的為政者とみる見方を醸成。
(317頁 元首政の危機内包)セウェルス朝の政治はしばしばローマ帝国史の転換点(後期ローマ帝国の皇帝専制)に位置
づけられる。しかしこれらの政治は対外的危機を契機とする諸変化の産物である。(決して
元老院排斥・圧殺が目的ではない。)ただこれらの政策が第一の政治支配層である元老院議
員の存在を脅かす傾向を持ち、元老院議員階層によって支えられている元首政の危機を内包
していた。
軍団司令官に騎士身分を登用したのは、その属州総督が騎士身分だったため。元老院の伝統
的威厳を配慮。
(320頁 二三八年の元老院)二三五年三月セウェルス朝最後の皇帝アレクサンデル・セウェルスが遠征先で軍隊に殺害さ
れ、新兵訓練責任者マクシミヌスが皇帝に宣言される。だがマクシミヌスは首都には帰還せ
ず、ライン地方やドナウ沿岸でゲルマン人相手に戦闘していたが、二三八年三月北アフリカ
で反マクシミヌスの反乱(属州アフリカ総督ゴルディアヌスの皇帝宣言)が起こった。
これに対し元老院は反マクシミヌス運動を支持し、マクシミヌス帝に対し公敵宣言する。こ
の後五ヶ月間に内乱があり七人が皇帝位を競った。
この内乱で注目すべきは、元老院は元首政史上異例と思われる行動である。
従来は皇帝選出における元老院の働きと言えば、外部で決まった人物を「承認」するだけだ
った。(内乱によるにせよ、近衛隊が擁立したにせよ)
二三八年の場合は異例で、皇帝権力がますます増大して共和政要素が後退しつつあったとす
る一般理解には矛盾する。「二三八年」の元老院の動きを考察。
(344頁 元老院議員がマクシミヌス帝を嫌った理由)(1)マクシミヌスは首都から遠く離れた地方で育った
(2)マクシミヌスは一度も首都に来ようとしなかった(即位の挨拶、経過を弁解もなし)
(3)マクシミヌスは「元老院を殺さぬ誓い」もしなかった
ローマの伝統の担い手を自負する保守的な元老院議員にとって、縁の薄い人物が皇帝となり
、かつ自分たちを無視して君臨しはじめた事に衝撃を受けた。
アレクサンデル帝の統治は実質としてはともかく、顧問会はアリストクラシーの如き印象を
与えていた。
しかしマクシミヌスの行動(元老院への完全無視)は皇帝の元老院議員階層からの完全な遊
離であった。これは皇帝が周囲から隔絶された超越的存在となる後期ローマ帝国時代の政治
状況への変容を考える上で注目すべきものである。
元首政開始時にアウグストゥスは自らを「元老院の第一人者」とした。圧倒的な権力を握る
彼にとり政情を安定させる上でジェスチャー以上の意味を持っていたと見るべきである。
以来二百数十年間権限が次第に強化され、宗教上の権威も高まって皇帝は一般市民からは次
第に遊離するようになったにもかかわらず、自らの集団から皇帝を生み出し続けた元老院議
員は別であった。(対等の礼儀作法で皇帝と面談でき、反乱・反抗で皇帝のライバルになり
うるのも元老院議員だけ)即位した皇帝は形式的にせよ元老院から承認無ければ正式に統治
を始められなかった。そしてかつての同等者達を属州総督・軍団指揮者に迎え入れて政治参
加させ、統治に協力させると同時に政治の安定を図った。


[1261] 長文2 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/06(Sun) 21:20

 れ、ある一つのタイプの社会の歴史である。それは内的構成のための原理、社会的諸階層
 の構成、諸階層間の関係によって、単に近代社会とばかりでなく、他の前工業化社会、な
 かんずく他の古代社会とも明確に区別される社会である。
(95頁 政治支配層の性格) アルフェルディは社会の支配的階層として元老院議員・騎士身分・都市参事会員身分の三者
を含めたが、中央政治のレベェルでローマ帝国の統治を担ったのは元老院議員・騎士身分で
ある。
両身分の皇帝政治成立後の状態は・・・
アウグストゥスは元老院議員身分の財産資格を定めた。これにより元老院議員身分は百万セ
ステルティウス、騎士身分は四十万セステルティウス以上の財産保有者と決まり、両者の区
別が財産額という極めて明示的な基準によってなされることとなった。
しかも共和政期には法的に許される範囲内ならローマ市民誰でも立候補できた公職をアウグ
ストゥスは元老院議員に限定。新体制下でアウグストゥスの代理人として大きな属州統治す
る者・軍団指揮者・首都やイタリアの重要な文官職は皆公職経験者であったから、わずかの
例外を除いて、元老院議員が重要な役職を独占。
一方、騎士身分は徴税請負制度衰退に伴って経済的基盤を失い、また内乱に巻き込まれてプ
ーブリカーニーを中心とする中央権力に関係深かった者達は没落。
騎士身分は世襲ではなく、本人一代限り、専門的・職業的性格。騎士身分の職務は皇帝直属
のものが主で、元老院議員を監視・掣肘するような立場の役職が目立った。騎士身分自体は
皇帝の対元老院対策の手先。
元首政期に入り、騎士身分への参入の道が大いに開かれた。(主席百人隊長が除隊時に騎士
階級)
アウグストゥスは元老院補充のため、百万セステルティウス以上の財産を持つ騎士身分に元
老院入りさせたり、規定財産に達しない騎士身分には援助を与えた。
(99頁 属州の重要性) 共和政期に遡りうる「貴族」(パトリキー)元老院議員は次第に減少、イタリア出身元老院
議員も次第に減少。属州出身者元老院議員が増える。
元老院の構成者の変化は、皇帝の家柄の変化に端的に表れている。一世紀中頃のネロ帝まで
の皇帝は、ローマの古くからの「貴族」系家柄であるユリウス=クラウディウス氏族の出、
しかし以後は属州出身の皇帝も現れ、五賢帝時代はスペイン系皇帝であった。
新興の家柄の人々が次々中央政治に参画するようになり、皇帝すらもそうした勢力から輩出
。これが元首政時代の政治を考える上で重要な前提。
(103頁 元老院) 属州出身元老院議員は自ら家系的伝統を持ちえないため、かえってローマの政治的伝統に忠
実であることによって中央政界におけるその存在の承認を得なければならなかった。
(共和政に対する思慕の念の強い作品を書いたタキトゥスは属州ガリア出身新人元老院議員)
(106頁) 帝政期に入っても、元老院議員はその財産を主に土地に投資して生活。
元首政期に入って、元老院議員、とりわけ古い家柄の貴族は宗教関係職に就く程度で、軍事
関係職・イタリア以外の勤務を次第に避けるようになった。(抜群の活躍をしても皇帝に危
険視されるだけ)
しかし新人元老院議員には軍事関係職につく者も現れた。皇帝の注意を引き、昇進狙う。
元老院議員のアイデンティティーは「元老院議員的生活」(大土地所有者として豊かな経済
的基盤、しばしば公職に就任して家と個人の名誉を高め、見せ物・援助、古典的教養)。
古典的教養(ギリシア語・文化)は選良としての生き甲斐。
(109頁 婚姻) 帝国統治に与る政治支配層の実態の具体的把握するために家族・家系の問題を扱う。
家族の維持・発展を巡る政治支配層の意識・行動を「結婚」を通じて探る場合、配偶者の選
抜基準を考察するのが好ましい。
配偶者選抜基準は「財産」を重視、あと出自・家系も基準。父方の高貴さだけではなく母方
の高貴さも重視。 ただそういう例ばかりでもなくなった。
配偶者選抜に関する価値観ないし理想と現実の落差は元首政期に入って元老院議員家系の断
絶と新興家系の興隆で拡大。
「近親婚」。家柄の釣り合い、当事者情報が豊富、財産の外部流出防止のメリット。
(117頁 樋脇学説) 社会情勢が不安定であった共和政末期は政治家達が覇権抗争を勝ち抜くため権力基盤を積極
的に拡大していた時期で結婚は概して外婚傾向。(近親婚ではない)
しかしカエサルとアウグストゥスによって完成された婚姻同盟がローマの覇権を獲得し、ユ
リウス=クラウディウス朝による支配体制が確立されると、今度は両家系を中心とした特定
家系集団内で婚姻を繰り返す。拡大志向から安定化志向への移行が元首政体制の王朝化を促
す一因。
(122頁) ユリウス=クラウディウス朝の近親婚の多さ、婚姻関係の閉鎖性に比べると二世紀の皇帝や
その一族の場合は、その結びつきは閉鎖的でなく、イタリア・ガリア・スペイン各地出身の
貴族間に広くゆきわたったものであった。綿密な近親婚ネットワークから緩やかな貴族連合
を想定させるものへと変化。
新興家系はとりあえず同郷で婚姻関係を結んだが、家系の成熟と共に同郷や近親以外にも広
く婚姻関係を求めた。
力を結集する必要のある政権樹立期や移行期は皇帝にとって親族や婚姻・地縁の繋がりが力
を与えた。
(124頁) 元首政時代を下るにつれて、政治支配層たる元老院議員階層の本拠地との結びつきは一層強
くなり、ローマ市とイタリアの重要性低下と共に帝国全体に分裂的傾向が生じ始め、元首政
システムにも大きな混乱を招くことになる。その混乱は同時に元老院議員階層自体の危機。
こうした変容過程を考えるならば、元老院議員階層の婚姻関係はこの階層を結束させるのに
大いに貢献し、この階層が皇帝の下で実際の帝国統治を担うという元首政の基本構造維持に
役立つ。
(129頁 従来の五賢帝時代への評価) 五賢帝時代は、皇帝と元老院の協調、有能・徳望ある人物が養子となり皇帝位継承。最良者
の統治というストア哲学の理念の政治的実践。
まず五賢帝時代の検証において、ネルウァからトラヤヌスへの政権成立の政治過程を考察す
る。この二人には血縁関係・婚姻関係はなく出身地も違うからである。
(132頁 ネルウァ治世の実態)ドミティアヌス帝が宮廷内で殺害、陰謀を行った宮廷官吏パルテニウスや近衛長官ペトロニ
ウスにより高齢の元老院議員ネルウァが皇帝となる。新帝ネルウァは反ドミティアヌス派に
よる先帝に対する報復活動容認。カスペリウスをネルウァは近衛長官に任命(理由不明)。
ところがカスペリウスはネルウァに対し、ドミティアヌス暗殺者を近衛隊に引き渡し要求。
ネルウァはペトロニウスとパルテニウスを引き渡す。二人は直ちに近衛隊により処刑。カス
ペリウスは更にドミティアヌス暗殺者処罰に関し近衛隊に公的に感謝することをネルウァに
要求。権威失墜のネルウァは危機脱出のため属州上部ゲルマニア総督のトラヤヌスを養子に
したとするのが通説。 
当時最高の将軍ゲルマニア軍団指揮できたトラヤヌスを養子にすることで近衛隊に圧力、反
乱を沈静化しようとしたというのが従来の通説。
(134頁 近年の研究) 当時の高級役人や高級軍人にトラヤヌスと同じスペイン出身が多い。
(136頁 トラヤヌス以上の存在 東方に・・・)近年の史料研究により、シリア総督ニグリヌスはドナウ地方での戦争で大功績を挙げ、恐ら
く英雄的存在であったこと、そしてその経歴がシリア総督を最後にプッツリと切れているこ
とが判明。ニグリヌスの経歴からすればトラヤヌス以上の存在。
(138頁 トラヤヌス政権成立の真相)ネルウァ帝治下で次の皇帝位を巡って、上部ゲルマニア総督トラヤヌスを推す勢力(反ドミ
ティアヌス派)とシリア総督ニグリヌスを推す勢力とが角逐。両候補ともスペイン出身。
皇帝ネルウァはこの状況を事態を見て対応。ドミティアヌス暗殺者により擁立されたネルウ
ァであったが、彼個人はドミティアヌスに近い人物。ネルウァは一貫した主義主張は持たぬ
にしても、永年の政治経験による感覚に頼りながら最終決断する機会を伺っていた。
ドミティアヌスを慕う近衛隊の反乱後はカスペリウスの要求を受け入れ、ネルウァは次第に
ニグリヌス支持派に同調。
そして近衛隊の反乱がトラヤヌス養子決定後直ちに沈静化、反乱指導者カスペリウスがトラ
ヤヌスにより処刑、ドミティアヌスにより近衛長官の職を解かれたカスペリウスがドミティ
アヌス派の為により復讐反乱を指導しているのは不自然で、首都のカスペリウスとシリア総
督ニグリヌスは同一派として行動していた蓋然性高い。このように考えると先のカスペリウ
スへのネルウァ任命問題も氷解。
ところで、こうした次期皇帝選出の流れをニグリヌスからトラヤヌスへと大きく変えたのが
リキニウス・スラの働き。
スラが実際行った工作は史料からは明らかにできないが、トラヤヌス帝がスラに三度もコー
ンスル職を与え、終生絶大の信頼を置き、スラの死に際しては国葬を営み、栄誉を記念して
ローマに公共浴場を建てた事を勘案すれば、スラの工作は重大だったと推定できる。
(恐らく政界有力者や近衛隊を巻き込んだ激しい政治工作だったと思われる)

トラヤヌスはネルウァ存命中はイタリアへ帰ることなく、九十九年春にようやく首都帰還。
この間トラヤヌスは中央政界を自らの統治に適するように再編成したであろう。

ネルウァ帝によるトラヤヌス養子縁組は優秀な人物を後継者とする措置の典型例として理想
的に語られてきたが、実態は現実の力関係・政治行動により行われた。養子縁組はプリンシ
プルや哲学には裏付けられたものではなかった。
(144頁 通説への疑問) 「暴帝」ドミティアヌスの政治と「賢帝」ネルウァ・トラヤヌスの政治の違いは?
ドミティアヌスは史書によれば宮廷内の反乱で殺された。
(158頁 ドミティアヌス帝暗殺の真相)ドミティアヌス治世下で始まったドナウ地方での騒動(後にトラヤヌス帝のダキア征服・属
    州化で決着)が本格的に始まっており、名誉欲の強い持ち主だったこともあり、戦争は遂行
され勝利させねばならかった。その為には優秀な戦争指導力とそれを背後で支える帝国の整
った行政機能が必要であった。その目的のため、コーンスル格皇帝管轄属州総督にパトリキ
ー(貴族)以外の人物を登用、また元老院議員にも属州(特にスペイン・ガリア)から登用
しだす。軍事力を伴う伴う重要職務を伝統的勢力に与えるのを避け、実権伴わぬ名誉職への
登用に限定する傾向をドミティアヌスはもっていた。これは皇帝個人の嫉妬心や警戒心から
だけではなく、ドナウ方面での軍事的危機に対処する必要が統治者としての政策であった。
ドミティアヌスは元首顧問会を重視したりして有能な人物が政治の推進力となっていった。
古い家柄の議員に代わって帝国内各地から新興勢力が中央政界に漸次登場してきた紀元一世
紀においては、ローマ古来の伝統との間に如何にして調和を保つことが皇帝政治の重要課題
であったであろう。ドミティアヌスの父ウェスパシアヌス帝や兄ティトゥス帝時代にはかろ
うじてかろうじて維持されていた融和も、ドミティアヌスは時代の要請もあって従来の枠を
破って新勢力を登用、国政面でも帝国統治重要職への登用において伝統的要素を無視。
ドミティアヌスは有能で厳格な人物だったが、行政効率の向上を求めてバランス感覚を失っ
てしまった。これにより保守的・社会的価値観を持つ勢力より反発を招いた。もちろんドミ
ティアヌスにより社会的上昇を獲得した人々もいたから元老院議員全体がドミティアヌスに
敵対したわけではない。ただ多くの元老院議員の意識や価値観の中でドミティアヌス帝に反
対する理論的基礎が充分できていた。
(162頁 ネルウァ帝) ネルウァは皇帝や皇帝家との繋がりを常に失わずローマ中央政界の荒波を乗り越えて長年に
わたり地位を維持してきた人物であったが、当時の属州総督・軍指揮官とは血縁関係なく、
中央政界に一つの党派を有する人物ではなかった。ただ永年の経験で宮廷政治・皇帝を知り
尽くしている、そして機を見るに敏な貴族であった。宮廷内クーデタで担ぎ出されたのもそ
のあたりにあるだろう。
ネルウァは皇帝即位後、コーンスルに老齢者を起用。これは先帝ドミティアヌスが効果的な
行政を求めて新興勢力を登用したため暗殺されたという即位事情があったためローマ古来の
伝統を重視したからである。
(164頁 ネルウァ帝の権力基盤の脆弱性)ところが一方ネルウァは即位後直ちにドミティアヌス派を政界からは排除しなかった。まだ
ドミティアヌス派は依然としてかなりの勢力があり、反ドミティアヌス派の要求ばかりも受
け入れられない状況であった。元老院内に強力な支持勢力を有しないネルウァはドミティア
ヌス政治の否定を完全に実行していない。ドミティアヌス派、反ドミティアヌス派いずれに
も確固たる支持母体をネルウァは持たない極めて不安定構造になっていた。
こうした状況に加え属州統治や軍団指揮経験もなく、またその方面の繋がりないネルウァは
属州各地に駐在する軍団や首都の近衛隊を充分制御することは困難で、ここの点でネルウァ
政治の動揺は始まる。ネルウァ帝治下の国内情勢は五賢帝時代の開幕というイメージとは程
遠い動揺と緊張の連続であった。
(170頁 トラヤヌス)九八年一月にネルウァが死んで単独皇帝になったのちもトラヤヌスは直ちに首都に帰還せず
、九九年になって初めて首都に帰還。大歓迎の中を歩いて市内に入り敬虔な態度を示した。
スペインに生まれ帝国各地を軍人として働いてきたトラヤヌスはローマを知らなかった。
養子縁組とはいえ実質的には軍事力と政治工作で帝権を手にしたトラヤヌスには無事安全に
かつ皇帝としての権威と人気をもって首都に入るためには少しばかり時間が必要だった。
(176頁 トラヤヌス帝の下で政治的安定した理由1)ネルウァ治世で活躍した老政治家はトラヤヌス治下に入り次々と死んでゆき、代わって比較


[1260] 長文1 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/06(Sun) 21:18

アントニヌス・ピウス帝が当時「賢帝」と呼ばれた理由は下記にあります。

まず『ローマ皇帝とその時代』(創文社 南川高志)の抜粋・引用を書きます。皇帝と元老院議員階級との関係を書いて
あります。長文過ぎて一回で投稿できないので分割します。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
(まえがき)カエサル暗殺の内乱に勝利を収め、一世紀にわたって続いてきた共和制ローマの混乱状態に
終止符を打ったカエサルの相続人オクタウィアヌスは紀元前二七年元老院よりアウグストゥ
ス(尊厳なる者)の称号を贈られ、新たな政治体制を創始した。この政治体制はアウグスト
ゥス死後も二百年間以上維持され、その元でローマ帝国は最盛期を迎えた。この政治体制は
十九世紀の偉大なローマ法学者モムゼンは「元首政」と呼んだ。
この時期のローマ帝国の政治体制の頂点には一般に「皇帝」と呼ばれる強大な権力者がいた
。この事は「元首政」の性格を如何に解釈しようとも、否定することができない基本的史実
である。しかし私はこの時代の歴史を単なる皇帝たちの物語にすり替えるつもりはない。
なぜなら共和制を否定せずに、むしろその復興を掲げて始められた「元首政」は、アウグス
トゥスとその地位の継承者たる皇帝たちの持つ権限は強大だったが、あくまでも第一義的に
は皇帝は共和制時代以来の政治支配層である元老院議員達の中の第一人者、プリンケプス(
元首)であった。皇帝政治が成立したからといって社会構造にも根本的な変化が生じたわけ
ではなく、引き続き元老院議員階層が社会のあらゆる面を支配・指導する体制が存続してお
り、また具体的な帝国統治において、皇帝は元老院議員達の協力なしには、何事もなしえな
かったのである。元首政時代のかような実態を踏まえるならば、皇帝のみに焦点を当てるだ
けではなく、政治支配層全体に注目する事が望ましい。本書では皇帝を統治体制の中心に見
ながらも、元老院アリストクラシーの動向を主軸にして元首政時代の政治史を描こうと試みる。
元首政の時代といえば、紀元前二七年始まってディオクラティアヌス帝の登位した紀元二八
四年とするのが学界の通例だが、本書では二三八年を元首政の終焉の年とみなしている。
(理由は後述) (その後は専制君主政)
(4頁 モムゼンの学説) モムゼンはアウグストゥスの創始した政治体制を「元首政」、後期ローマ帝国時代の政治体
制を「専制君主政」とし、前者を「元首=皇帝」と「元老院」とに分かたれた「二元統治体
制」と定義づけた。モムゼンが皇帝の権限の本質とみたものは、「前執政官命令権」(属州
を統治する総督の権限)であった。オクタウィアヌスは前二七年一月、アウグストゥスの尊
称を受けるに先立って、元老院からほぼ半数の属州の総督の権限を与えられ、統治を委ねら
れた。(皇帝と元老院の属州分掌)しかし一方で共和制以来の元老院にも立法権・裁判権・
公職者選出権限等統治に関わる数多くの権限をモムゼンは認め、皇帝政治を二分された権力
構造とみた。しかし皇帝と元老院のいずれに重きを置いて皇帝政治を捉えるか、また民会が
形式的ながらしばらくは立法権を有していたことなど、モムゼンの定義に合致しない事実が
存在。
(6頁 モムゼン以後の学説) モムゼンは法制史的に『ローマ皇帝とその時代』を研究・分析した。
しかしモムゼン以後は社会史的に研究・分析したものが主流。保護(パトローヌス)−庇護
(クリエンテーラ)。ローマ人は「権威」あると認めた人物には理由付けや根拠無しに従う
。最高級の保護者達が参集する元老院は最大の権威を有する。その元老院が国政を指導した
のが共和政期のローマ国家。こうした観点からのローマ皇帝理解は、「権威」を皇帝の権力
の本質と考え、その基盤は共和政時代以来の保護−庇護関係にあるとし、アウグストゥスを
最後にして、最大の保護者とみた。
皇帝やその政治の本質を研究する際、アウグストゥスのみを研究対象としてきた。
(19頁 本書のアプローチ) アウグストゥスによる元首政の創始は大変な政治的変革だが、ローマ社会のありようも一気
に変えてしまうような社会的変革ではない。元老院議員を第一の政治支配層とする共和政以
来の社会構造は継続され、権限を集中的に保持した皇帝も実質的な帝国統治は引き続き彼ら
に委ねられた。帝国統治の経験・権威を持つのは元老院だけだった。
元首政の実際は「皇帝と元老院議員」との共同統治であった。
皇帝もまた元老院議員階層から生み出されていたことは常に念頭に置かれねばならない。
もうひとつは出身地・親族関係といった社会史的アプローチで議論を深める。
皇帝政治を法制度等の静態的分析といった観念的でなく、現実の政治的事件・政策といった
その時代を生きてきた登場人物の息づかいが聞こえてくるような社会史的アプローチである
(34頁 アウグストゥスと自由)アウグストゥスは尊厳毀損法を制定。皇帝自身は原告の立場に立つことはないため、その意
を受けて、或いは自発的に告発する「告白人」の活動。彼らが政界を恐怖に陥れるのは次代
ティベリウス以降だが、アウグストゥスは制度的に先鞭を付けた。
アウグストゥスは元老院議事録・国民日報の編集・公開を廃止。
「神君アウグストゥスの治世下では人々の言葉はまだ自分たちを危険にするほどのものでは
なかったが、しかし既に厄介なものではあった」(セネカ)はその治世の雰囲気をよく表現
(37頁 ティベリウスと自由)元老院議員・歴史家のコルドゥスがティベリウスの近衛長官セイアヌスの子分によって告発
された。罪状はブルトゥスを称揚したこと。ブルトゥスを破った先帝アウグストゥスを「自
由の破壊者」と見ることになるのが原因。
ブルトゥスらの立場を真のリーベルタース(自由)と捉える思想は皇帝を敵と感じる逆境の
中で成長し続けてゆき、皇帝政治を批判する立場の理論的根拠へと形成。
8(44頁 対立する二つの自由) 皇帝暗殺者・皇帝政治批判者のリーベルタース(自由)と「アウグストゥスのリーベルター
ス」(皇帝政治と自由の調和)は対立する概念。
カリグラ帝の暗殺とクラディウス帝の登位は首都の近くに駐屯する巨大な暴力装置としての
近衛隊が皇帝の存亡に関わり始めた。そしてカエサル暗殺の時のように元老院議員がリーベ
ルタースをかざして皇帝暗殺を直接決行することはもはや起こらず、近衛兵が実行する歴史
が始まり、共和制の復活が現実の場で話題となることも全くなくなった。
紀元一世紀のローマ帝国では皇帝の存在とその政治思想が次第に自明のものになってゆき、
共和制は遠い過去の記録になりつつある中で、反皇帝行動を実践する側の意識も変化。
一方看過できないのは皇帝側が統治の現実に合わなくなっても共和政以来の貴族主義的理念
である「リーベルタース」をなお称揚し、自らその担い手を主張。これは皇帝政治が共和制
時代の貴族による政治指導体制を受け継ぎ、その理念的枠の中に存在し続けていたことを表
している。(この後五賢帝時代においてこの長らく対立してきた二つの「自由」は融和する
 後述)
(51頁 哲学者の反皇帝運動)アウグストゥスの創始した新たな政治体制はティベリウスの恐怖政治やカリグラの暴政等の
混乱にも関わらずシステムとして確実にローマ帝国に定着していった。そしてユリウス=ク
ラディウス朝時代に元老院は皇帝に従属する様相を呈し、共和性的な要素・雰囲気は次第に
政界から失われていった。
しかしこうした変化の流れを押し止めようとした人々がその後も皇帝に対し様々な反対・陰
謀を行い、皇帝政治は五賢帝時代まで安定しなかった。その代表例が紀元一世紀後半の哲学
者達の事件。ネロ帝治世(五四〜六八年)後半とフラティウス朝時代(六九〜九六年)に幾
度も生じた事件。
(66頁 哲学者達の反皇帝運動の本質)反皇帝運動のほとんどはストア学派。ストア学派は共和制時代やその英雄への思慕の念が強
かったこと認められるが、現実に共和制樹立を目的に結束し、革命を志向したとは考えがた
い。ただストア派は「古き良き時代」を思慕する情の強い者達であったことは銘記。
ストア派哲学者が告発されたときにもストア派哲学者が告発側に回ることもあり、ストア派
として反皇帝運動には関わっていない。
(71頁) 反対行為(反皇帝運動)が哲学とは不可分のもの、或いは大きな影響を受けたものとは考え
がたい。ただとりわけストア哲学が反対行為の実践にある種の精神力を与えたことは否定で
きない。また反対行為とストア哲学との間にタキトゥスのような同時代人が容易に関係づけ
て論じうる程の共通の性格があったことも想定できよう。
(73頁) 哲学者弾圧を皇帝専制ないし皇帝崇拝強化の一過程、或いは皇帝によるイデオロギー干渉の
例たる事件と捉えることはたやすいが、何故かかる事件が一世紀後半という時期に特徴的に
生じたのか等の問題が説明できない。
(75頁) 哲学者弾圧は一世紀後半特にフラティウス朝期に特徴的な事件であるが、この時期と言えば
首都やイタリアの伝統ある貴族家系が衰退して、イタリアの新しい地方都市やさらには属州
からも本格的に新興勢力が中央政界に入るようになった頃である。こうした支配階層の社会
移動は首都ローマにローマ本来の気風を持ち込んだ。(「ローマ本来の気風」とは、古くか
らの生活態度・峻厳さを今日も大切に守ってきた気風、の事。)
(76頁) 元首政は外面的には共和政の再建をうたって樹立されたため、新たな価値体系が形成される
に至るまでは、自らを共和政と同じ自由の理念で価値づけねばならず、ローマ人の社会的価
値観の基準も依然として「祖父の遺風」というべきものであった。元首の政治や行動もこう
した伝統の基準に照らしてその価値を与えられていたのである。そして社会移動によってロ
ーマ古来の気風が持ち込まれ、いささか尚古主義的・保守主義的傾向が強まり、そうした立
場からの価値判断が一部において鋭敏になった時代にあって、ネロの放縦な態度やウェスパ
シアヌスの家系的にも即位の方法でも全く伝統のない新政権は保守主義と峻厳さを有する人
々にとって容認できるものではなかった。それが政治の現実に批判となって現れたものが、
反対行為(反皇帝行動)。
一方ウェスパシアヌス帝は自身がイタリア地方出身者であり、こうした思潮の存在を恐らく
察知していたであうが、現実の帝国がそうした時代遅れの尚古主義的・保守主義的精神では
統治できぬ事も内乱を勝ち抜いた彼は知っていたであろうと思われる。それゆえ自由の理念
と祖父の遺風という伝統的価値観を乱すことなく、かかる尚古主義的・保守主義的主張が抑
えられねばならなくなった時、犠牲になったのが哲学であった。反対行為と同じ共通の性格
を有し、それに精神的助力をしていたと思われる哲学が罪とされた。哲学者は不穏な反政府
的・反社会的存在のレッテルを貼られ追放処分に至った。
(77頁) 五賢帝時代に入って反対行為・弾圧はなくなるが、それは各皇帝の姿勢もさりながら、更な
る社会移動よって保守主義的傾向が現実政治の場では希薄化。

反対行為は皇帝への道徳的批判のレベェルにとどまらないが、しかし決して単純に政治的性
格のものとも言いがたい。
(85頁ローマ社会の特質 アルフェルディ学説より) (1)社会的関係の経済的基盤
  ローマ世界の社会的関係の経済的基盤は常に農業生産の優勢にあった。富の源泉は常に
  土地。
(2)社会層システム
  社会的地位を決める階層システムは経済構造に依存しており、特権的地位は土地所有と
  結びついていていた。出自は決定的、社会的地位は世襲。ただ個人の能力による上昇可
  能性がある程度存在。
(3)社会ピラミッド
ローマ社会の構造は不変的にピラミッド型。上層部が数滴に極端に貧弱、ピラミッドの
  頂点と底辺の距離が大きい。帝政初期の帝国全人口は五千万〜八千万人といわれ、
  上層部に属する元老院議員は約六百人、騎士身分は二〜三万人、都市参事会員身分は約
  十万人。 このピラミッドは上層部と下層部から成り、真の中間層を常に欠いている。
  しかも上層部のみが身分的に組織され、下層部はいかなる組織型を持たず、ただ都市的
なものと地方的(農村)なものに区分されるだけ。
しかしローマの場合、実際には生産手段を所有するが、直接生産者でもあるような「中
間の階級」(小都市の都市参事会員身分、都市の豊かな解放奴隷)を考えざるを得ず、
  二項対立的な階級概念では真の理解は得られない。
 経済的規範によってのみ構成されていたのではなく、むしろ経済的なものとはまったく
  異なる別の社会規範に基づき構成。
(4)社会的従属関係
  社会的従属の型は財力・権力・序列・名声・特権に応じた個々の社会層の地位に基づい
ている。従属関係は家族のレベェルから始まり、全帝国住民と皇帝との結びつきにまで
及ぶ。
(5)個々の集団間の緊張・闘争
 ローマの上層部と下層部間には幾度も緊張関係が存した。しかし社会革命を導きうるよう
な統一的な抑圧された革命的階級は決して存在しなかった。社会的不利益を受けている様
 々な階層集団間の革命的な同盟はできなかった。
 共和政末期の内乱も上層部・下層部の争いではなく、抑圧階級・被抑圧階級のそれでもな
 かった。
(6)階層間の透過性
 ある程度の社会的上昇可能性。
(7)個々の集団を結びつけておく支配形態
 ローマの歴史は共和政であろうと帝政であろうと、支配階級の歴史なのである。 
(8)イデオロギー的システム
 「ローマ国家は、いにしえの慣習と人によって立つ」これはキリスト教の勝利に至るまで
 存続。
ローマ史は初期の小都市国家と後の世界帝国との間の隔たりにも関わらず、多かれ少なか


[1259] ローマを訪ねました 投稿者:松田光生 投稿日:2002/10/06(Sun) 21:11

自分宛のだけに返信して姑息なんですが(アントニヌス・ピウスにはあまり強い印象がないので)。

> 個人的には、ローマに行くのに Windows のパソコンではなく、Linux を持って行かれたあたりが面白かったです。

linux といっても Windows のような使い方しかしてないので情けない限りです。自宅サーバーも設置しておりますがルーターの内側です。一応 postgresql と php は動いていますが、使い方がわかりません(^^;)。

> ワールド・コインズ・ジャパン(http://www.coins.co.jp)
> 松浦古銭堂(http://www.jnda.or.jp/hp/orientcc.html)
> この2軒くらいだと思います。ワールド・コインズ社の方は私もよく利用します。

ワールド・コインズ社のWebにアントニウスとクレオパトラの銀貨が出ていましたが、値段を見て仰天しました。ここのコレクションは自費で集められているんですよね?

私もなにかわかりやすいのを手元に置きたくなってきましたが、値段が手頃なものは素人わかりしないので難しそうですね。私の場合は贋作でもいいんですが。

字数制限のない掲示板はいいですね。

http://www.pp.iij4u.or.jp/~tristan/


[1258] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/06(Sun) 16:22

○松田光生さん

>ここで紹介されているコインはどうやって入手されたのでしょうか?
これにお返事するのを忘れていましたね。(^^;)
BBSの過去ログにもありますが、国内でローマコインを扱っているお店は多くありません。
ワールド・コインズ・ジャパン(http://www.coins.co.jp)
松浦古銭堂(http://www.jnda.or.jp/hp/orientcc.html)
この2軒くらいだと思います。ワールド・コインズ社の方は私もよく利用します。
あと、井上さんのページ Inoue Coin Collection(http://www.icc-coin.com/) のリンク集の中に海外のコイン商も紹介されています。その中の HJB, CNG は私もよく利用します。
ebayのオークションも信用できる出品者を選べば、悪くないと思います。


○東尋坊さん

>ピウスが帝位についたのはAD138ですから、10年目と言えるのでは
>ありませんか。
おっしゃるとおりですね。あと、P.M.さんが調べたトラヤヌスの oak-wreath のコインがほぼ在位10年ですから、これでハドリアヌスのものが同様に10年なら、この頃は在位10年で市民冠が贈られたのだと結論できそうですね。どなたか調査してくれませんか?(他力本願モード^^;)


[1257] 鼓腹撃壌 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/06(Sun) 14:34

中国、尭帝の時のお話ですね。
漢文で習ったように思うが、卒業後 ん十年、今漢文を見てもチンプンだ。
あの漢文で設問されても、半分しか取れない。

ところで、例のオーク冠のコインはAD147に発行されています。
ピウスが帝位についたのはAD138ですから、10年目と言えるのではありませんか。
(資料 sear RCVU p238 4314のコイン)


[1255] ピウス帝問題 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/06(Sun) 12:14

○柴田さん

>感激した元老院はオクタヴィアヌスにアウグストゥスの称号と三つの特権を贈った。
「感激した」と言うよりは「困惑した」の方が実状に近いのではないでしょうか、
「今さら統治権返されたって困るよ。それに軍事力は手放さないんだろう。」みたいな感じだと思います。
あるいはもっと冷静で、「分かった。分かった。形式を整えたいんだね。じゃあ、アウグストゥスの称号でいいかい?」かもしれません。

>何らかの外交的勝利により紛争が回避された事に対する元老院の
>感謝決議を記念して発行された可能性があります。
史料が少なくて確認は難しいと思いますが、確かにその可能性はありますね。

>ピウス帝の治世は維持できるラインまでの戦線縮小期であったと
>解釈すべきではないでしょうか?
なるほど。そうかもしれませんね。
ハドリアヌスはダキアをあっさり放棄していますが、ピウスは前進してからの後退ですよね。戦線縮小なら最初からあっさり撤退しても良さそうな気がします。
これは想像でしかないんですが、「島国だからブリタニアの敵を一掃することが可能かもしれない」と考えていたんではないでしょうか。そして、上手くいかずに撤退したんではないかと思います。


○高島賢治さん

ブリタニア政策が上手くいっていなかったのは本当だと思います。そこを見たら「アホか」とおっしゃりたいのもよくわかります。
でも、小さくないとはいえ一つの失策で「愚帝」まで言うのは可愛そうですよ。他の方面では大過なく統治していたんですから、ローマ帝国の広大さを考えると立派だったと言っても良いでしょう。


○東尋坊さん

>それで以後「ピウス」の名が付き、これを皇帝の名ともとしたらしい。
ハドリアヌスが死後、「記憶の断罪」になりそうになったときに、それを止めさせてハドリアヌスを神格化させたからだという説もあります。

>ハド帝が任命した属州総督から「20何年も経っているので、
>もう引退させてくれ」と懇願した手紙があるそうなので、
なんと、これはひどい。忘れていたんでしょうかねえ。
昔はたまにいたんですよ。生徒に居残りの勉強を命じておいて、忘れて帰っちゃう先生とか。(^^)

>唯一失策とされているアントニヌス防壁ですが、簡易な作りから
>ハドリアヌス防壁のさらに補強としての前線であったとも云われて
>います。原住民の分断が目的だったのです。
建設コストに見合う効果があったのかなあ?

>アホでは出来ません。小さい芽のうちに処理したと言えます。
これに賛成します。

○P.M.さん

いつもながらの的を射た書き込み、感服します。

>マルクス・アウレリウス帝時代(カルプルニウス・アグリコラ総督時代?)に
>フォース・クライド線(アントニヌス帝の長城の国境線)は回復されていたと
>(確証はないが)言われています。
これが正しければアントニヌスはそう変なことをやっていたわけではないことになりますね。

>ローマ皇帝伝ティベリウス伝26節
確認しました(岩波文庫で^^;)。確かに市民冠を辞退したと書いてありますね。
ところが、MINT不詳ですが、こんなコインがあるんです。
  RIC 94 As
  obv: TI CAESAR DIVI AVG F AVGVSTVS
    Tiberius head, bare, left.
  rev: PONTIF / MAX in two lines in oak-wreath
きっとあとで決議してもらったんでしょうねえ。
あとティベリウス以後ピウス帝以前では、ガイウス、クラウディウス、ネロ、ガルバ、ウィテリウス、ウェスパシアヌス、トラヤヌス、ハドリアヌスにoak-wreathの描かれたコインがあることを確認しました。勝手に継承しているのか、元老院の決議を得ているのかは確認できていません。

>世の中には「『在位10周年完了記念』で市民
>冠を贈られた」としている人もいます
ガイウスとネロは即位後すぐくらいに oak-wreath のコインが出ています(ガルバ、ウィテリウスも当然即位後すぐですね^^)。ウェスパシアヌスの場合、AD73年です。この辺りは10年記念ではないですね。
ピウス帝のあとになりますが、マルクス・アウレリウスとコンモドゥスは先帝が生きている間の共同統治時代にそれが出てますから、ますます10年記念ではないです。
ただ、ずっと後のコンスタンティヌス大帝とか、その子供たちのコインには wreath の中に VOT X とか VOT XX みたいに書かれているコインがあって、その辺だと10年記念と多少の関係があるかもしれません。ただ、全然10年なんか経過しないうちに VOT X って書いちゃうんで、単なるデザインになっているかもしれませんが。


[1254] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/06(Sun) 12:14

○松田光生さん

楽しいご旅行でしたね。写真を見ると、天気も良さそうだし。

>せっかく公開したので皆様もおいでください。
早速、見せていただきました。大作ですねえ。古代ローマへの情熱が伝わってくるようです。
個人的には、ローマに行くのに Windows のパソコンではなく、Linux を持って行かれたあたりが面白かったです。ページの文字コードも Shift Jis でなくて EUC だし、普段から相当 Linux を使いこなしていらっしゃるんだなと推察いたします。


○東尋坊さん

>ワインも飲んでいて、怪しい。週末はメロメロだ!
うん、怪しいかもしれない。(^^)

>約1日で500番も進んでいます。Xデーやいかに!!
たぶん 200 の間違いです。テンキーでは 2 と 5 は隣接していますから、手がすべったんですね。(^^)


○P.M.さん

>粗悪品のみですが(って、私の持っているのはほとんどが粗悪品ですが)、
>私はいつも手で弄んで楽しんでいます(*^o^*)
私もこれですね。きちんと保管するコインと、そこらへんにころがしておくコインとは区別しています。

>高校時代の漢文の授業で出てきた詩で、
懐かしいですねえ。「鼓腹撃壌」ってやつです。帝堯のお話とされています。出典は十八史略のようです。
読みにくいですが、こちらに原文が
http://www3.justnet.ne.jp/~soya/01test/01_04kan/kohuku.html

>すでに忘却の彼方・・・(゚- ゚ )
最近忘れっぽいんですよ。たぶん、10万番予約特典もそのまま忘れてしまう可能性大です。(^^;)


[1253] さて、今朝は何番かな?o(^o^)o ワクワク 投稿者:P.M. 投稿日:2002/10/06(Sun) 08:54

69534 人目ですか。 みなさん、私が70000番をとるために毎日カウンタを@@@
まわしていただいて感謝感謝ですΨ(`▽´)Ψ

■augustusさん
> 70000番は実は半分あきらめているんですか?
あれ゛っ? 60000番とりそこねたときに予約してませんでしたっけ?(^o^;)
  ↑
すでに忘却の彼方・・・(゚- ゚ )

> 予約特典
(*^o^*)(*^o^*)(*^o^*)

> 塩加減:薄いときは足したらだめなんですか?
もちろんいいですよ〜ん。味見のときに「ちょっと薄いかな? パスタも茹で上
がっちまっうし、まっ、これでいいや!」と単に横着しただけなんです。(^o^;)

> http://www.csun.edu/~hcfll004/romancensus.html (ROMAN CENSUS)
おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおお! こいつは凄い(*^o^*)
ワクワクしますな〜(*^o^*)

> コインの保存
粗悪品のみですが(って、私の持っているのはほとんどが粗悪品ですが)、私はいつも
手で弄んで楽しんでいます(*^o^*)

> ビニール製の場合、古くなると塩素が出てきてコインが変色しますから、注意が必要
φ(.. )メモメモ

[正]>・・・と奴隷(ど・れい[謎])がカウンタを・・・
「が」が 抜けておりました、、、これでお分かりいただけましたでしょう
か?(^o^;)、、、、、、、(゚o゚ )ハッ ( ̄^ ̄ )
ヒッ\(>_<\)
ちなみに、奴隷(゚o゚ )ハッ ( ̄^ ̄ ) (/>_<)/ヒッ、、、(-o-)oコホン、、、ど・れい
様とは古代ローマ好きの元ミラネーゼ様のことでございまする。

■高島賢治さん
> ◎『キケロー選集 最終巻』 岩波書店 11月下旬新刊予定。
チッ(-_-#) 1ヶ月ずれ込みましたか・・・

> ◎『プリニウス書簡集』 岩波書店 弓削達訳
完訳本であれば是非手にしたい一品です(^o^;) 訳注もかなり違うものであれば
なおさらのこと・・・

私が是非欲しいと思っている書は京都大学出版協会から刊行予定の『ヒトリア・
アウグスタ1』(南川高志先生訳)ですが、出版月をご存知でしたら教えていた
だけますと幸いです(このシリーズも予定よりもずれ込むことが多いんですが・
・・(^o^;))。

■IKさん
> カリギュラ
暗殺されたスピード(在位期間)を考えると、「こんなとんでもないことを!w(゚o゚)w」
と思われることでも実際にやっていた可能性が高いような気がします。。。他の
カエサルたちと違って・・・。


********* アントニヌス・ピウス問題 *********
■高島賢治さん
高島賢治さんはおっしゃりたいことは非常によくわかるような気がします。
「アントニヌス・ピウスは果たして賢帝であったか?」と問われれば、私であれば
「人格者ではあるが、愚帝ではない」という結論になります。ただし、本当に何もし
ていなかったのであれば、「賢帝である」と私は思います。高校時代の漢文の授業で
出てきた詩で、「『はて〜?現在の皇帝って誰だったっけ?』『何もしないんで誰だ
かわかりませんな〜』」というのがあった記憶があります。この詩の落ちは、「被支
配者は支配者の存在を感じずに圧政に苦しむこともなく日常生活を送ることが出来、
なんという平和な時代であることか!」ということにあるようですが、皇帝名等、
詳細なことはすっかり失念してしまいました(;_;) ← どなたかご存知の方、教えて
くらはい
<閑話休題>
マルクス・アウレリウスの場合、私の考えでは「人格者ではあるが、賢帝ではない」
となります(^o^;) [息子・コンモドゥスを後継者にしたことで批判されている場合
もありますが、私の場合はそれが原因ではありません。]

> アントニヌス帝の長城
アントニヌス・ピウス帝時代末期に一度退却されたわけですが、マルクス・アウレリ
ウス帝時代(カルプルニウス・アグリコラ総督時代?)にフォース・クライド線(
アントニヌス帝の長城の国境線)は回復されていたと(確証はないが)言われていま
す。 [たとえば、A.R.Birley先生の"Marcus Aurelius"5章の注53参照)。
フォース・クライド線を完全に放棄したのはコンモドゥス帝の時代だったと思います。

> 『プリニウスの博物誌』(雄山閣)
日本語で内容を知るには有用な一冊とは思いますが、解説書としては非常に問題が多
く引用する場合注意が必要な書と思っています、訳注の2をみて誤解を与える解説に
なっていることをみてもわかるように。日本の訳者の責任というよりも英語の元訳解
説書がそうなっているためだとは思いますが。

■柴田さん
> 1:市民冠はaugustusの後継者に認められた世襲の特権であった。
出典はなんなのでしょう(・_・")?
市民冠については、ネット上では
http://www.ukans.edu/history/index/europe/ancient_rome/E/Roman/Texts/secondary/SMIGRA*/Corona.html
に詳しいですが、たとえば、この市民冠の節の最後でも紹介されているスウェトニウス
の『ローマ皇帝伝 ティベリウス伝26節』で「・・・市民冠も辞退した。」とあるよ
うに皇帝に市民冠の世襲権などあったとは到底思えないのですが。

> 何らかの外交的勝利により紛争が回避された事に対する元老院の感謝決議を記念して発行された可能性
私も最初このように考えていましたが、世の中には「『在位10周年完了記念』で市民
冠を贈られた」としている人もいます(根拠は?と思い、他の皇帝の同様な硬貨につい
て調べてみようと思いましたが、疲れてやめちゃいました(^o^;) ということで、ざっ
と見ただけですが、トライアヌス帝の場合、在位11年位で非常に微妙です)。
すでに皆さんが書かれているようにアントニヌス・ピウス帝時代においても紛争や謀反
(プリスキアヌスやアティリウス・ティティアヌス)が度々あったわけですが、他の皇
帝達が市民冠を贈られた状況から推察するに、それらの処置方法に対する功績とは断定
出来ないと思います。

> 彼の長い治世を当時の人々が、どの様に評価したかを見ていただきたい。
となると、ハドリアヌス帝は稀代の大悪人になっちまいます(;_;)

■東尋坊さん
> 彼の名は、数ある歴史書にも記述が無く
カッシウス・ディオの書のアントニヌス・ピウス帝伝が散逸していることが悔やまれま
すね(;_;)

ではでは


[1252] ピウス帝私見 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/06(Sun) 02:29

柴田さんや高島さんのピウス帝の話に参加させて下さい。

アントニヌス・ピウスの「ピウス」とは、「慈悲深い人」の意味です。
人格者であったようで、晩年の死の病の錯乱からなのか、ハドリアヌス帝からの何人もの元老院議員への告発をうまくかわし、ハド帝の死後恩赦にしている。元老院はホットしたでしょう。
それで以後「ピウス」の名が付き、これを皇帝の名ともとしたらしい。

彼の名は、数ある歴史書にも記述が無く、「皇帝伝」の1項があるのみ。
何もしなかったから、書きようが無かったとも云えるが、はたしてそうなのか?
ハド帝が任命した属州総督から「20何年も経っているので、もう引退させてくれ」と懇願した手紙があるそうなので、そうとも云える。
しかし、あの広大な帝国を支障無く統治出来たのは事実で、火災や地震等の災害は多数発生していました。
アホでは出来ません。小さい芽のうちに処理したと言えます。

唯一失策とされているアントニヌス防壁ですが、簡易な作りからハドリアヌス防壁のさらに補強としての前線であったとも云われています。原住民の分断が目的だったのです。
アントニヌス防壁以南をローマ化していないので、そう推論されています。
完全な征服後の防壁なら、ローマはいつもの様にローマ化しています。

ハドリアヌス帝はアンニウス(後のアウレリウス帝)に引継ぐつもりだった。
しかし、20歳前だったので、中継ぎとして人の良いピウスを指名した。
中継ぎとしてなら、何一つ失うこと無く次に引継いだと言える。
元老院にとっては、こういう皇帝が一番都合が良い人ですね。

今、NHKBSで「フィガロの結婚」をやっています。モーツアルトは良い。
ワインも飲んでいて、怪しい。週末はメロメロだ!

約1日で500番も進んでいます。Xデーやいかに!!


[1251] 無題 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/06(Sun) 00:31

○彼は従属国の王や近隣諸国からも調停者として認められていたのである。
○前任者のだれと比べても、取り立てて言うほどの足跡を残していない。(中略)ピウス帝の真の業績を見くびっているのかもしれない。なぜなら彼は、皇帝につきものである、わざとらしい権力の誇示もせずに、堅固な政府を作り上げたからだ。
(以上 『ローマ皇帝歴代誌』創元社 より抜粋)

ブリタニアに関しての軍事プレゼンスの継続は意味があったかどうかが問題だとおもいます。
アントニヌス防壁は経済的な土塁でできていたし、街道も新たに建設していないし、軍団基地もチェスターとヨークから移動していません。
また、ピクト人は丘では強いが、低地では問題外。
単にピクト人を低地スコットランドからカレドニア(高地スコットランド)へ一時的に追い払う事が目的だったように思われます。
もともとブリタニア問題の長期化はクラウディウス帝に帰せられるべきであり、トラやんの版図拡大も無茶苦茶すぎて、維持するには軍団の数と予算が足りなかったのです。
ピウス帝の治世は維持できるラインまでの戦線縮小期であったと解釈すべきではないでしょうか?
後退するまでの時間稼ぎにピクト人を駆逐してアントニヌス帝の長城を築き、徐々に後退したのてはないでしょうか?
軍事力だけが全てではなく、版図拡大よりも維持の方がより困難である事も事実です。
結びとして、彼の長い治世を当時の人々が、どの様に評価したかを見ていただきたい。


[1250] ピウス帝汚名回復委員会 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/05(Sat) 20:42

○ハドリアヌス帝の長城の40マイル北方にアントニヌス帝の長城が建設された。しかしアントニヌスが死ぬ前、ローマの国境はハドリアヌ
ス帝の長城のさらに南に後退していた。
○アントニヌス帝の長城の完成間もなく、マウレタニア、ゲルマニアで紛争が起こり、エジプト、ユダヤ、ギリシアで反乱が起きた。ダキア
人・アラニ人との戦いもあった。
  (以上 『ローマ皇帝歴代誌』創元社 より抜粋)

アントニヌスが愚帝であったのはアントニヌス帝の長城の戦略的設置ミスだけでも判る。アントニヌス帝の長城という国境防御施設を設置し
ているのに更に南方のハドリアヌス帝の長城南方まで後退しているのは明らかな戦略的設置ミス。
ブリタニアでの敗退、各地での小競り合い、この当時のローマの軍事力は強力だったはずなのに、このような結果は皇帝の兵力配備の戦略的
ミスと外交力の欠如によると思われる。


[1249] ピウス帝名誉回復委員会 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/05(Sat) 19:12

高島賢治さんに市民冠について調査をしていただきましたが、真実を問い続けたく、ピウス帝名誉回復委員会は追跡調査を行ないました。
以下はその調査結果です。

1:市民冠はaugustusの後継者に認められた世襲の特権であった。
紀元前27年、オクタヴィアヌスは共和制復帰宣言を行い、様々な権利を元老院し市民に返還する事を宣言。
感激した元老院はオクタヴィアヌスにアウグストゥスの称号と三つの特権を贈った。
その内のひとつが玄関の扉に市民冠を置くことであった。
よってアウグストゥスの後継者は市民冠を常用する特権も継承するのである。

2:コインを市民冠で飾る権利はあったのか?
当委員会はあったと考えます。
コインの発行はアウグストゥスによって皇帝の権限とされ、法的にはコインを市民冠で飾る権利はあったが、何の功績もなく飾れば、市民と元老院の失笑を買うので何かしないと飾れないのである。
問題のコインが発行されたのは紀元147年であり、何らかの外交的勝利により紛争が回避された事に対する元老院の感謝決議を記念して発行された可能性があります。

24年の長きにわたる統治期間は常に不穏であったが、ブリタニア以外の地では戦争を回避してパクス・ロマーナを実現している。彼に目立った業績がないという事実も問題が具現化する前に潰していたのではないかと当委員会は考えるものであります。
当委員会は最後にピウス帝を礼賛して結びとします。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


[1248] ローマを訪ねました 投稿者:松田光生 投稿日:2002/10/05(Sat) 17:31

未完成ですが、旅行で撮った写真を整理してWebにUPしました。
読み物風にしたかったのでgoogleで検索しながら文章を書くうちにAugustus様のページに行き当たってしまい、大いに参考にさせていただきました(無意識に引用してしまったかもしれませんがご容赦ください)。

ここで紹介されているコインはどうやって入手されたのでしょうか?

せっかく公開したので皆様もおいでください。

http://www.pp.iij4u.or.jp/~tristan/


[1247] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/05(Sat) 14:45

○東尋坊さん

>今、NHKBSのオペラ特集を観ながら、ワイン片手に、
>この掲示板を覗いています。
ずいぶん忙しいですねえ。(^^)

>イタリア好きが昂じて、オペラまで入り込んでしまいました。
私も「ボエーム」なんか好きだったりします。あと、イタリアでなくなるけど「神々の黄昏」。


○受験生さん

調べ物はうまく答えがみつかりましたか。秋になって受験勉強も大詰めですね。頑張ってください。

>掲示板に書き込んでくださいとのことですが、
>それでキリ番踏んだことが解るんでしょうか?
お答えします。
掲示板に書き込んだだけではその方が70000番の方かどうかはわかりませんが、「70000番でした。」などとその旨を書き込んでいただければOKです。
そんなことでは偽物が現れるのではないかと心配されるかもしれませんが、掲示板という公開の場所に書き込んでもらうということは偽物の防止になります。なぜなら、偽のキリ番申請を見つけた本物の方からの抗議が期待できるからです。
また、私が借りているサーバを含めて、ほとんどのwebサーバにはアクセスログというものがあり、いつ、どのページに、どこから(どのIPアドレスから)アクセスがあったかを記録しています。本物のキリ番の方と偽物の間に争いが生じた場合、どこからのアクセスであるかをお尋ねすれば、ほぼ解決すると思われます。


[1246] 無題 投稿者:受験生 投稿日:2002/10/05(Sat) 13:41

ローマについて調べものをしていたらこのページにたどり着きました。
「70000人目のひとにローマコイン」というのに少し興味があります。
掲示板に書き込んでくださいとのことですが、それでキリ番踏んだことが解るんでしょうか?

PC初心者なんでしょうもない質問してスミマセン。。。


[1245] NHKBSを観ながら 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/04(Fri) 22:45

今、NHKBSのオペラ特集を観ながら、ワイン片手に、この掲示板を覗いています。
イタリア好きが昂じて、オペラまで入り込んでしまいました。
この後、0:10から「トスカ」だ。今晩は眠れない。
ローマへ行った時、トスカの舞台 サンタンジェロ橋からハドリアヌス帝廟を見上げたのを思い出す。

>此度の重荷は拙者が負いましょう。
柴田さんいけません!今度は私が背負わせて頂きます。




[1244] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/04(Fri) 22:12

○東尋坊さん

>写真のアルバムといっしょで、最初は色々凝ったりするんですね。
アルバム形式だとどういう順番で並べていても、入れ替えが面倒なんです。例えば皇帝の順番に並べていて、皇帝と皇帝の間には少しスペースを取っておいたとしても、空きが足りなくなると並べ替えが必要になります。そのときにイライラしてしまいます。(^^;)


○高島賢治さん

>あなたは [an error occurred while processing this directive] 人目の
>ローマ市民です。
カウンタの実装にSSIという技術を使っています。SSIから呼ばれるスクリプトがエラーを起こしたんですね。理由は次のどれでしょうか。
1)高島賢治さんはローマ市民では無く、サーバがそれに気づいた。
2)アントニヌス勅法により急にローマ市民の数が増えてしまい、サーバが対応できない。
3)誰かがカウンタをクラックしている。
4)70000番ジャストでないので高島賢治さんに怒られることをサーバが怖れた。

>10月5日22時30分
これは X-Day の予想ですか?(^^)


○IKさん

>取り合えず、お菓子の箱の中にコインを入れています。
私と似ていますね。

>取り出す時はラテックス・グローブを使用しています。
私と似ていませんね。(^^;)
これくらい大切にされればコインも幸せでしょう。

>私がキリ番を取る限り、新たな犠牲者を出す心配はありません(笑)。
意外なところで、googleのロボットさんなんかがキリ番をとったりして。(^^)
その場合 google のキャッシュを見て「70000番だ!」と言わないでくださいよ。(^^;)


○P.M.さん

>「そのコインはドミティのかもしれないo(^o^)o」と奴隷(ど・
>れい[謎])カウンタを@@@@@@回していたりして(^o^;)
?????
謎なので解説きぼん。(^^;)


○柴田さん

>此度の重荷は拙者が負いましょう。
十字架を背負うイエスみたい。(^^)




[1243] 無題 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/04(Fri) 21:54

>augustusさん、既に私は業の深いコイン蒐集の罠にはまってしまいましたから、私がキリ番を取る限り、新たな犠牲者を出す心配はありません(笑)。
ええ、よろこんでお引き受けしましょう。

IKさん、真理です。
しかし、一人で重荷を負う必要はありません。
此度の重荷は拙者が負いましょう。


[1242] 今日は「69280 人目のローマ市民」でした(^o^)/ 投稿者:P.M. 投稿日:2002/10/04(Fri) 17:38

お昼に覗いたときは昨日の同時刻の約170人増だったから、、、
そのコイン今度こそ私がもらうとするよ 明智君Ψ(`▽´)Ψ

「そのコインはドミティのかもしれないo(^o^)o」と奴隷(ど・
れい[謎])カウンタを@@@@@@回していたりして(^o^;)

はっはっはっはっはっはっはっはっはっ (^0^)、、、、、、、
(゚o゚ )ハッ ( ̄^ ̄ )
(((((((((((((((((((((((((((/>_<)/ヒェ〜〜〜〜〜〜
じょ、冗談でぴ(;_;)


[1241] 無題 投稿者:IK 投稿日:2002/10/04(Fri) 17:11

異常な速さでカウンターがあがっていますね…。
多分、明日の夜中頃に突破と見た。

augustusさん、既に私は業の深いコイン蒐集の罠にはまってしまいましたから、私がキリ番を取る限り、新たな犠牲者を出す心配はありません(笑)。
ええ、よろこんでお引き受けしましょう。

私は取り合えず、お菓子の箱の中にコインを入れています。取り出す時はラテックス・グローブを使用しています。そこまでしなくてもいいんでしょうが、まあ、気分の問題です。


[1240] 無題 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/04(Fri) 14:49

特殊工作部総務課 御中

当ホームページにアクセスして、下記の文章を読みましたが、乱数表を紛失した為、秘密指示が解読出来ません。

あなたは [an error occurred while processing this directive] 人目のローマ市民です。

つきましては10月5日22時30分 ポイント fcv004684765 に乱数表を置いておいて下さい。

      特殊工作員 007


[1239] 無題 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/04(Fri) 12:39

下記書籍が出ています。
●『地域文化研究I 地中海世界の歴史像』 放送大学教育振興会 伊藤貞夫・樺山紘一 \2,200+税
 紀元前8世紀から紀元16世紀までの地中海周辺の歴史的諸相を,この世界に特有の文化制度,歴史的背景を主軸に備えて多角的に考察
 している。全15章構成で,各章では「市民たちの世界」「奴隷制社会論」「ルネサンスに甦る古代ギリシャ」など,研究史上枢要の主
 題をテーマに,史料の様態と扱い実際,各領域における先端的な問題状況を検討している。
  <構成>  □□史料と方法  □□古代の都市国家  □□市民たちの世界  □□家族史への誘い  □□奴隷制社会論  □□「
       パンとサーカス」の社会史  □□古代末期社会論  □□中世南イタリアの多言語資料  □□中世地中海三大文化圏論
       □□中世地中海の交易と人的交流  □□ルネサンスに甦える古典ギリシア  □□ブローデルとアナール派の地中海  
       □□オスマン帝国の成り立ち  □□イスラム的共存のシステム  □□地中海世界を考える視点


[1238] 記念のコイン 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/04(Fri) 10:05

>60000番記念のコインでこの世界にハマッテしまいました。

そうか、前回は柴田さんでしたか。
そんなに良い物だったんですね。羨ましい!
皆さんには、負けませんよー。

>私は面倒になってアルバムは使わなくなりました。

augustusさんは沢山お持ちだから、そうなるのでしょうか。
私はまだ始めたばかりなので、思いだけ先行でいっているのかな。
写真のアルバムといっしょで、最初は色々凝ったりするんですね。


[1237] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/04(Fri) 00:03

○東尋坊さん

>探していたんです。楽天に紙のコインホルダーとアルバムがある様
>なので入手する予定です。
紙のホルダーとアルバムの組み合わせなら大丈夫だとは思いますが、フリップだとアルバムに入れるのは結構面倒だったりします。
単に私が横着なだけかとも思うのですが、私は面倒になってアルバムは使わなくなりました。2×2インチのフリップを箱に入れて保管しています。箱はコイン専用の箱も有るんですが、100円ショップで「ランジェリーケース」というやや恥ずかしい名前で売られていたものがちょうどよい大きさで重宝しております。


○柴田さん

>しかし、augustusさんも罪な事をする。
>私は貴方に戴いた60000番記念のコインでこの世界にハマッテしまいました。
朱に交われば赤くなると言いますが、たぶん柴田さんは朱に交わる前から十分赤かったんではないかと想像しております。(^^;)

でも、もしどうしてもこの世界から救われたいのでしたら、良い方法がありますよ。
柴田さんのお持ちのコインたちにはどんな銘文が刻まれていますか?「AVG」とか書いてあったりしませんか?
そう、もうおわかりですね。「カエサルのものはカエサルに、AVGVSTVS のものは augustus に返しなさい。」と主もおっしゃっていらっしゃるのです。
柴田さんのピウス・コレクションがたまってきたら、どうぞご検討下さい。(^^;)


[1236] 無題 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/03(Thu) 22:55

○東尋坊さん

>でも、20gもある銅貨は持ち重りがして気持ち良いんだなー。

ああ、なんと羨ましい。
私も大きなピウス帝の肖像をすりすりしたい(笑)。

しかし、augustusさんも罪な事をする。
私は貴方に戴いた60000番記念のコインでこの世界にハマッテしまいました。
私のような人間がきっと五人はいるんでしょうねぇ。
もうすぐ七人目が誕生すると思うと・・・・罪深いです。
さて七人目がだれなのか楽しみです。


[1235] ホルダーを入手 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/03(Thu) 22:01

augustus さん、アドバイスをありがとうございます。
探していたんです。楽天に紙のコインホルダーとアルバムがある様なので入手する予定です。
塩ビが有害なのは、承知しておりました。
でも、薄膜越しの接触では悲しい! 何かコンちゃんみたい。

品の無い話はこれくらいにして。

>>1週間もしないうちに500番もすすんでいる
>実はこれは普通です。(^^)
そうですか、ふつうですか。(__)
Xデーは今週末と見た!


[1234] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/03(Thu) 21:13

○東尋坊さん

>でも、20gもある銅貨は持ち重りがして気持ち良いんだなー。
と言うと、セステルティウス貨ですね。確かに手に持つには感じが良いですね。コインホルダーに挟んでおくと撫でても大丈夫ですから良いかもしれません。
それから皮脂に負けないくらい有害なのが塩素。コインを入れているフリップがビニール製の場合、古くなると塩素が出てきてコインが変色しますから、注意が必要です。古くなる前に交換するか、塩素を含まないものを使うか、それともサランラップみたいな安全なものでくるんでからフリップにしまうかのどれかにすると良いようです。

>やや!1週間もしないうちに500番もすすんでいるぞ!
実はこれは普通です。(^^)


○真奈美さん

>ガリア貴族がということなので、あれは明らかにプロではありませんね。
素人が暗殺なんか自分でやろうとしてはいけませんねえ。
って、すっかり知識不足をさらしてしまった。(^^;)

昭和天皇は64年?の在位期間、おかげで息子の....

>またもコインと無縁ですまんです。
古代ローマに関していればOKです。(^^)


○P.M.さん

>いろいろとカキカキしたいことはあるのですが、
お待ちしてまあす。(^^)


○高島賢治さん

>特殊工作員の仕業だと思います。
実は週に10か20くらいは検索エンジンのロボットさんの訪問だったりします。google君なんかは週に3回くらいは来てくれているみたい。
って、全然関係ない?(^^)


[1233] 密アクセス 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/03(Thu) 20:21

◎東尋坊さんへ
||ところで、最近、カウント数がやたら多くありません?

特殊工作員の仕業だと思います。


[1232] 私は 69043 人目のローマ市民です(^o^)/ 投稿者:P.M. 投稿日:2002/10/03(Thu) 12:26

ということで、今のところ私がニアピンですかな?(  ̄^ ̄)

>> ところで、最近、カウント数がやたら多くありません?
> 何か狙いのある人がいるのかもしれません。(^^)
Ψ(`▽´)Ψ
いろいろとカキカキしたいことはあるのですが、お昼時間がなくなりますので
今日のところはこの辺で(って、夜にカキカキするかもしれないけど(^o^;))


[1231] 皇帝伝の記述ですが 投稿者:真奈美 投稿日:2002/10/03(Thu) 07:26

あのアルプス越えのときのは、ガリア貴族がということなので、あれは明らかにプロではありませんね。

ヴィクトリア女王は64年の在位期間、おかげで息子のエドワード7世は10年たらず。
さて、チャールズ3世ーーなれればだけどーーはどうなるか、と野次馬としては面白がります。

またもコインと無縁ですまんです。
よろしく(なにをだ)。


[1230] コインを早速拭いた 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/03(Thu) 00:03

augustus さん、コインを手で触れる件のアドバイスをありがとうございます。
早速入念に拭き取りました。まあ、軽くは拭いていましたが、これからは慎重にします。
でも、20gもある銅貨は持ち重りがして気持ち良いんだなー。

やや!1週間もしないうちに500番もすすんでいるぞ!
早いんでないかい?


[1229] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/02(Wed) 22:54

○柴田さん

>こんな事を書き込んで○×に△▲されないか不安になってきますね。
こういうことを冗談のように書き込むことができる私や柴田さんは幸福ですね。自由な社会にいるということも、身近に△▲された人がいないということも。


○東尋坊さん

>帝政期のコインだけで1,800件もある!
ねっ、そうでしょう。日本のYahooとは参加者の厚みが違うと思います。

>石灰分で固まったコインを電解洗浄して、日本のオークションに懸ける。
意外に儲かるかもしれませんね。でも、相場を知らない人が付ける望外の高値を狙うのはなんとなくイヤだなあ。(-_-)

>まあ、冗談はこの辺にして。
あ、そうか。冗談だったんですね。(^^;)

>ところで、最近、カウント数がやたら多くありません?
何か狙いのある人がいるのかもしれません。(^^)


○真奈美さん

お名前は拝見しておりました。こちらでもよろしくお願いいたします。

>そのころまだまだ、暗殺者をうっとりさせるほどの美貌
アウグストゥスが男前であったのはたぶん間違いないと思います。しかし、非情にして沈着冷静でなければプロの暗殺者とは言えませんねえ。

>18歳で即位して長々と68年も皇帝やってましたね。
これは大変ですねえ。途中で誰かと代わって欲しくならなかったんでしょうかねえ。(^^)


○高島賢治さん

>「ピウス市民冠」疑惑真相徹底究明調査委員会
なーるほど。そういうことだったんですか。
まあ確かに事実上の生殺与奪の権を持つ皇帝ですから、市民を殺さなかったと言うことは助けたことにもなるわけだ。
それにしても良く見つけましたね。「博物誌」まで調べるとはさすが高島賢治さんだ。委員長殿、ありがとうございました!


[1228] Re[1227]: 「ピウス市民冠」疑惑真相徹底究明調査委員会 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/02(Wed) 22:40

> 「ピウス市民冠」疑惑真相徹底究明調査委員会は下記の調査結果を公表した。
>
> ************************************************************************************************************************************************
> 我が「ピウス市民冠」疑惑真相徹底究明調査委員会は、「何故ピウスみたいな何もしなかった馬鹿皇帝が市民冠を授かったか」という疑惑を徹底解明すべく
> 色々な文献に当たりました。調査は困難を極めましたが、下記の文章を見つけました。出典は『プリニウスの博物誌 II』(雄山閣)657頁です。槲葉冠と
> は市民冠の事であります。

天晴れ!お見事です。
真実は問いかける事にこそ価値があり申す。
結果が間抜けであろうとも何ほどの事がありましょうか。


[1227] 「ピウス市民冠」疑惑真相徹底究明調査委員会 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/02(Wed) 21:30

「ピウス市民冠」疑惑真相徹底究明調査委員会は下記の調査結果を公表した。

************************************************************************************************************************************************
我が「ピウス市民冠」疑惑真相徹底究明調査委員会は、「何故ピウスみたいな何もしなかった馬鹿皇帝が市民冠を授かったか」という疑惑を徹底解明すべく
色々な文献に当たりました。調査は困難を極めましたが、下記の文章を見つけました。出典は『プリニウスの博物誌 II』(雄山閣)657頁です。槲葉冠と
は市民冠の事であります。

「それらはほとんどすべてドングリのなる種類のカシワで、それは常にローマで貴ばれている。というのは、軍事的武勇の名誉ある表象である槲葉冠(注1)
がそれから得られるからだ。しかし今ではずっと前からそれはまた皇帝の仁慈の表象(注2)ともなっている。それは国内戦が凶悪であったため、同胞市民を
殺さないことが功績と認められるにいたってからずっとそうであった。
(注1) 槲葉冠は市民の命を救った兵士に与えられたカシワの葉の冠。
(注2) 槲葉冠は、元老院の決議によって、国家の救済者としてのユリウス・カエサルに与えられたが、以後、それは皇帝の宮殿の入口に懸けられていた。」

平たく言えば「同胞市民を殺さなかった皇帝は市民冠を与えられた」と、当初の理念なんてどこか遠くに行っておりました。これが疑惑の真相でありました。
何とも調べた時間のわりには真相はふぬけでした。
************************************************************************************************************************************************


[1226] 番茶も出花 投稿者:真奈美 投稿日:2002/10/02(Wed) 14:07

突然出てきてしかもコインではない話ですみません、初めまして。デラさんとこの常連です。ちょくちょくロムしてました。ヴィクトリア女王の話が出てたので口出しを。と言ってもヴィクトリアに詳しいわけではありません。友人のくれた英国みやげに、トランプくらいのサイズの、歴代国王の肖像セットがあって、これには若いころの女王が載ってます。同時代の、オーストリアのフランツ・ヨーゼフも、18歳で即位して長々と68年も皇帝やってましたね。内憂外患でたいへんだったことでしょう。バイエルンの「狂王」ルートヴィヒ2世も、やはり18歳での即位、えらい違いですが。F.J.とは血縁もあるのに。ルーは美貌でならしたし、F.J.も若いころはハンサムだった。(母ゾフィーもかつては兄ルートヴィヒ1世の選んだ「美人画廊」に姿をとどめている)
そーしーて、オクタヴィアヌスも18歳で政界デビュー。かの有名な、アルプス越えのときのエピソードがいつのことか知りませんが、仮に40代初めだとして、そのころまだまだ、暗殺者をうっとりさせるほどの美貌であったということになるので、彼の場合「番茶も出花」ってだけのものでは断じてなかったはず・・って、結局私はこれをヨイショしたかったのでした、
お邪魔しました〜。


[1225] USのebayで秋の夜長を 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/10/02(Wed) 01:40

augustus さんありがとうございます。早速、USのebayを覗いてみました。
帝政期のコインだけで1,800件もある!
これで、秋の夜長をウイスキー片手ならぬ、辞書片手で過ごせます。

中には、スペインの掘りたてのコイン数百枚とか、コインの電解洗浄器キットとかある。
そこで閃きましたね!!
石灰分で固まったコインを電解洗浄して、日本のオークションに懸ける。
問題は、中学生程度の英語力と、ラテン語だ。勉強しなきゃ。
まあ、冗談はこの辺にして。

ところで、最近、カウント数がやたら多くありません?


[1223] 無題 投稿者:柴田 投稿日:2002/10/02(Wed) 00:06

○ augustus様
この頃だと前線の将軍が凱旋式をあげるようなことは無くなっていますよね。「勝利を得たのは元首さまの尊い指揮のお陰です。だから、凱旋式は元首さまがあげるべきです。」って感じ。
それと同じのりなんじゃないかなあと私は想像します。

これでは某北○鮮の「偉大なる○×山の頭首様」のノリではないですか(笑)。
こんな事を書き込んで○×に△▲されないか不安になってきますね。
たしかにこの頃では凱旋式の権利や白馬の戦車は皇帝のみに許された権利といっても差し支えないですね。
将軍では凱旋式でも馬に騎乗して練り歩く事しかできなくなってますからねぇ。


[1222] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/10/01(Tue) 19:39

○柴田さん

>彼には前線での軍歴がないハズで、同僚の命を救うとすれば・・・・・
>何もありませんね。
この頃だと前線の将軍が凱旋式をあげるようなことは無くなっていますよね。「勝利を得たのは元首さまの尊い指揮のお陰です。だから、凱旋式は元首さまがあげるべきです。」って感じ。
それと同じのりなんじゃないかなあと私は想像します。


○東尋坊さん

コインのオークションなら日本のYahooではなく、USのebayを御覧になってみると良いと思います。ものすごい量のコインが出品されています。
もちろん、信用できる出品者ばかりでは無いと思うので、お買いになるのでしたら十分な注意が必要です。
http://listings.ebay.com/aw/plistings/list/all/category4733/index.html

>よく、コインを直接手に触れないようにといいます。でも、手にしたい。
>本当に良くないのでしょうか。
本来は良くないでしょうねえ。皮脂が着いたところだけ変色の仕方が変わったりするかもしれません。
でも、あまり貴重でなく状態も良くないコインなら、まあ、直接ふれてもどうってことは無いと思います。


○IKさん

夏休みに「精神医学」というタイトルのテキストを読んでいたんですが、興味深い記述がありました。
人は多かれ少なかれ精神疾患を発病する因子を持っているんだそうです。それが外部からのストレスその他で発現すれば病気になるんです。遺伝的に精神病発病への耐性が強い人も弱い人もいるので、同じ精神的ストレスでも病気になる人とならない人がいます。
さて、カリグラですが、熱病のあと人格が変わったとも言われてますよね。熱病で脳障害を引き起こしたのかもしれないし、元首の地位によりストレスがたまっていて、熱病による死の恐怖などが引き金で精神疾患を発病したのかもしれませんね。

>実はカリギュラ・シリーズはビデオで持っています
えっ、シリーズものだったんですか。知らなかった。
実は「このDVDを買った人はこんなDVDも買っています」の話だったりして(^^)。

>スエトニウスはどこまで信じてよいものやら。
ゴシップに流れすぎているからあまり信じられないみたいですね。だからと言って替わりになるものもないから困るんですが。


○P.M.さん

>私は 68653 人目のローマ市民です(^o^)/
この数だといつ頃なのかなと興味がわいたので調べてみました。まだ、王政の頃なんですね。
ソースはこちら。 http://www.csun.edu/~hcfll004/romancensus.html (ROMAN CENSUS)


○高島賢治さん

>国立国会図書館で所蔵の書籍等を有料でコピーし郵送するサービスを開始
ページが分かっていれば便利ですね。でも、現物を見なきゃコピーしたいページも分からないような気が...(^^)


[1221] 無題 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/10/01(Tue) 19:27

下記書籍が近刊。
●『七十人訳 ギリシア語 聖書 全5巻』 秦剛平訳 河出書房新社
 現存する最古の聖書原本のひとつであり、史上初めて体系的にまとめられ、広く使われていた「古代キリスト教世界の欽定訳聖書」
 を本邦初訳した歴史的出版。旧約聖書研究、新約聖書研究、ユダヤ教・キリスト教史研究から死海文書研究やギリシア・ローマ史、
 日本における聖書翻訳史にいたるまで、広範囲にわたって、必要不可欠な基本文献。世界的に権威あるドイツの「ゲッティンゲン版
 」を本文の底本とし、注釈は訳者の長年の研究成果を結集した詳細で見やすい見開き体裁。
  第1回配本 第1巻 創世記     10月15日 予価 \2,800+税
  第2回配本 第2巻 出エジプト記  12月予定 予価 \2,800+税
  第3回配本 第3巻 レビ記     1月予定 予価 \2,800+税
  第4回配本 第4巻 民数記     2月予定 予価 \2,800+税
  第5回配本 第5巻 神命記     3月予定 予価 \2,800+税

下記書籍が10月20日新刊予定。
●『美術史 第1巻 古代美術』 国書刊行会 エリー・フォール著 篠塚千恵子訳 予価 \4,500+税
 先史時代から近代に至る造形芸術の歴史と、その内に生き生きと脈打つ形態の精神とを、さながら壮麗な長編叙事詩のごとく詩情豊かに描き出
 し、比類なく美しい文学作品とまで評される不朽の名著、ついに翻訳。アンドレ・マルロー、ルネ・ユイグからヘンリー・ミラー、ゴダールま
 で、幅広く影響を与えた「芸術の歴史学」の決定版。〈全7巻〉 以降続刊。
 第2巻 中世美術 第3巻 ルネサンス美術 第4巻 近代美術I 第5巻 近代美術II 第6巻 形態の精神I 第7巻 形態の精神II

下記書籍が10月22日新刊予定。情報を追加して再掲。
●『古代哲学への招待 パルメニデスとソクラテスから始めよう』 平凡社新書 八木雄二 予価 \760+税
 「世界知」を求めたパルメニデス、「自己知」を追究したソクラテス。二つの糸は時に離れ、時にもつれ合い、西洋古代の思想のド
 ラマは展開する。独自の視点からの斬新な西洋古代哲学入門!

下記書籍が10月29日新刊予定に変更。
●『アウグスティヌス <ペンギン評伝双書・シリーズ>』 岩波書店 ギャリー・ウィルズ著 志渡岡理恵訳 大平健・巻末エッセイ 予価 \2,400+税
 初期キリスト教会最大の思想家にして、西洋の思想文化形成に計り知れない影響を与え続けた聖アウグスティヌス。ローマ帝国末
 期の激動の時代に生きた、ヴェールに包まれた聖人の実像を描くピューリッツァー賞受賞歴史家による力作。

●国立国会図書館で所蔵の書籍等を有料でコピーし郵送するサービスを開始。詳細は下記で。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/opac_zousyo.html


[1220] ふっふっふっ(  ̄^ ̄) 投稿者:P.M. 投稿日:2002/10/01(Tue) 12:20

私は 68653 人目のローマ市民です(^o^)/

みなさん、ま、ま、ま、負けませんことよ〜ん♪


[1219] カリギュラ 投稿者:IK 投稿日:2002/10/01(Tue) 09:04

>P.M.さん。
実はカリギュラ・シリーズはビデオで持っています(っていうと相当異常な人ですな)。以前、住んでいたところにあったレンタルビデオ屋が閉店する時、ワゴンセールで売り出した中にあったんですね。即買い、でした。

もし脳障害が理由であのような人格破綻者になってしまったのだとしたら、カリギュラも気の毒な人です。映画なんかでは相当やりたい放題していましたが、ローマってのは一応法治国家のはず…。あんなことが可能だったのでしょうか。
スエトニウスの皇帝列伝にほとんど由来してるんでしょうが、スエトニウスはどこまで信じてよいものやら。

普段はこの掲示板を直接、お気に入りに入れているんですが、このたびトップページも加えました。もちろん70000番目をゲットするためです。頑張るぞ!


[1218] また、yahooオークで 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/09/30(Mon) 23:55

また、yahooオークで珍しいものが出品されています。
AD217発行、caracallaの雷光を咥えたライオン像です。コインネームもsearの資料そのままです。
+VFクラスで、searの資料では4万円位、出品者の希望価格は10万円です(高けー)。

毎度、yahooオークを話題にしますが、他のコインのオークションは休眠状態で、毎週勉強出来るのは此処だけです。

ところで、コインの表面にはバテナという黒や緑・茶が付いています。
これは多分、錆や手垢・埃が付いたものと思います。腐食防止にもなるのでしょう。
よく、コインを直接手に触れないようにといいます。でも、手にしたい。
本当に良くないのでしょうか。



[1217] 無題 投稿者:柴田 投稿日:2002/09/30(Mon) 21:44

○東尋坊様
>「最良の元首」
帝国中に出回るんですから、プロパガンダに最適ですね。
状態は良かったけど、3万円近くの値段でした。資料では1万後半ですね。

なんと最終的にそこまで暴騰していたのですか?
17000円までならだせるかなと思っていたのですが・・・・。
納得いかん値段のつきかたです。

○ P.M.様
>"最良の"、"最善の"という意味で、おかっぱおやぢが贈られた同音の尊称とは違って単なる形容詞のはずです。
ちなみに、上記の銘文全体の意味は
”ローマ元老院と国民は元老院決議により最善なプリンケープス(第一人者)に[この市民冠を捧げる<銘文のまわ
りに樫の葉の冠が描かれている>]”
で、逆に質問ですが、この市民冠は元来戦闘で同僚の命を救った人に贈られるはずですが、ピウス殿は何をしたので
しょう(・_・")?

本当に何をしたのでしょうねぇ(笑)。
トラやんと違い、彼には前線での軍歴がないハズで、同僚の命を救うとすれば・・・・・何もありませんね。

東尋坊様を始め、多数の方々に私の疑問に応えて頂き、感謝の至りです。
本当にありがとうございました。
でも70000番目の挑戦は手加減しませんぜ(ニヤリ)。



[1216] RE: 投稿者:augustus 投稿日:2002/09/30(Mon) 20:05

○柴田さん

>別に何かで見たわけではなく、属州でピウス帝の即位や
>在位十周年等を記念して発行してないかなとおもっているだけです。
そうでしたか。仰る通りで、もし在れば豪華な一品ですね。でも、あるのかなあ?

>悔しくて腸が断ち切れそうです(笑)
そんなに悔しがらなくても、そのうちまた見かけることもありますよ。Searの本の評価ではそんなにrareではないようですし、大丈夫です。(^^)


○P.M.さん

ラテン語が分かるのはいつもながらうらやましいなあ。(大学の教養で選択すればよかたんだけど。)
数学の先生としましては、円周率=3 の話は最初に聞いたときに大変驚きまた心配したわけですが、すぐに「あれはガセネタだよ。」という情報を聞いて安心したのでした。

>100,000番を予約します。で、これまた毎度のことなのですが
>予約特典は?(¨;)
おや? 70000番は実は半分あきらめているんですか?いつも大変お世話になっているP.M.さんですから、予約特典を考えさせていただきました。
では、予約特典の発表です。予約の上、10万番ジャストを獲得された方にはローマコインの他にローマコインの模造品を1枚プレゼントさせていただきます。(^^;)

>いただくよ、明智君 ← って、誰?(^o^;)
裏声が特徴的な人ですね。

>塩加減を間違えて薄すぎました(;_;)
初心者から質問させていただきます。濃すぎるのが困るのは分かるけど、薄いときは足したらだめなんですか?


○東尋坊さん

ドルススのコインは仰るとおりであまり多くありません。実際に購入した価格はほぼSearの本に載ってる価格なんで、高い買い物ではあります。
でも、もっていない皇帝、皇族のコインを見ると欲しくなってしまうんですです。(ロムルス・アウグストゥルスなんか見ちゃったらどうしたら良いでしょうねえ ^^;)


○デラさん

>即位の礼装をした、きりっときれいな全身像の絵をみたことがあります。
ヴィクトリア女王は即位時18才でしたね。さぞかし、美しい姿だったのでしょう。
ところが時代が変わって最近の日本(私の勤務校を含む^^;)では、せっかくの若い美しさを理解に苦しむ妙な化粧で台無しにしている娘さんがかなりの数いるようです。(若者の文化が理解出来なくなっているのは年齢のせいかもしれませんが、あれはあまり理解したくないなあ ^^;)

ヴィクトリア女王のコインももっているので、機会を見つけて画像をアップロードしようと思います。


○高島賢治さん

>古代ローマ関係書籍・未出版疑惑究明調査会
さすがに情報通ですねえ。今後もよろしくお願いします。


[1215] レス 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/09/30(Mon) 13:25

◎P.M.さんへ
||陣内先生
||http://www.ksknet.co.jp/book/m-jyu10.html
||「このシリーズはどうしたの?」と常々思っておりまする(-_-)

『建築と都市の美学 イタリアI 古典 ギリシア・ローマ』(建築資料研究社)は2001年5月中旬新刊予定でしたが、「監修・陣内秀信 写真・喜多章 編著・大槻武志」となっているので、監修というのは限りなく名義貸しに近いと思うので残り二名の責任か、既刊シリーズが売れなかったかも知れません。

古代ローマ関係書籍・未出版疑惑究明調査会による「行方不明疑惑書」は下記の通り。(認定分のみ)

◎『欲望する帝国 「パンとサーカス」のローマ社会史 <歴史のフロンティア>』 山川出版社 本村凌二
この書籍は読みたいのですが.........

◎『キケローにおける哲学と政治 ローマ精神史の中点』 角田幸彦
今年中に刊行予定。

◎『イタリア半島の考古学 <世界の考古学II期>』 同成社 渡辺道治編

◎『クラウディウス アエリアーヌス 動物志』 龍溪書舎 塚田孝雄訳

◎『キケロー選集 最終巻』 岩波書店
11月下旬新刊予定。

◎『プリニウス書簡集』 岩波書店 弓削達訳
翻訳が完成してずいぶんと経つらしい。講談社学術文庫からも出ているので難しそう。


[1214] [訂正] (-_-#) 投稿者:P.M. 投稿日:2002/09/30(Mon) 12:21

[誤]
・・・optimus:optimoは与格、bonus”良い”の最大級・・・
・・・最善なプリンケープス(第一人者)に・・・

[正]
・・・optimus:optimoは与格、bonus”良い”の最上級・・・
・・・最善なプリーンケプス(第一人者)に・・・

う〜む(-_-#) 情けない(;_;)

ではでは

気を取り直して、、、追伸
68453番(^o^)/
東尋坊さんや他の方々、今回こそは負けませんよ〜♪(ふっふっふっ)


[1213] ヴィクトリア女王 投稿者:デラ 投稿日:2002/09/30(Mon) 06:47

古いねたですが、ヴィクトリア女王はたしかに若い時は美しかったですね(番茶も出花はあらゆる女性に適用可能)。即位の礼装をした、きりっときれいな全身像の絵をみたことがあります。
『キャンディ・キャンディ』のエルロイ大おばさまみたいな(古い…)、晩年のいかめしい姿が印象に強くって、パトラさんのコインで、つい連想してしまいました。

ネロのコインの時も話題にでましたが、コインの図はモデル自身チェックしないのでしょうか。
パトラさんてば、あんないかめしい横顔でコインを発行しちゃって。ネロは、ネロで、首ろあごがくっついているかのようなデブデブの横顔。おかげで、こうして、二千年後まで肴にされている(笑)。

http://users.hoops.ne.jp/pmkyh236/


[1212] 68358番です 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/09/29(Sun) 22:43

70000人目ですか、楽しみですね。

ところで、オークションに懸っていたピウス帝の裏面が文字のものは、私も見ていました。
>「最良の元首」
帝国中に出回るんですから、プロパガンダに最適ですね。
状態は良かったけど、3万円近くの値段でした。資料では1万後半ですね。

augustusさんのコレクションにはいつもながら感心してしまいます。
ドルススの名前のものは、どれも数が少ないのではありませんか?
状態の良いものを入手されて羨ましいです。


[1211] 私は 68350 人目のローマ市民です。(^o^)/ 投稿者:P.M. 投稿日:2002/09/29(Sun) 21:24

出だしはいつも好調なんですけど、出だしは・・・(-_-)
今度という今度は私が70,000番を踏んでローマンコインをゲットさせて
いただくよ、明智君 ← って、誰?(^o^;)

■augustusさん
毎度のことですが、100,000番を予約します。で、これまた毎度のことなのですが
予約特典は?(¨;)
> ミネストローネのお味はいかに?
抜群によかったです(^¬^)
そのあと、ズッキーニとトマトのスパゲッティを2度作りましたが、こっちのほうは
なぜか2回目の方のお味が今一でした(-_-) 塩加減を間違えて薄すぎました(;_;)

> アウグストゥスって何時正式の皇帝になったの?
楽しみにしておりまする。

■高島賢治さん
> 『シチリア 〈南〉の再発見』 淡交社 陣内秀信
陣内先生
http://www.ksknet.co.jp/book/m-jyu10.html
「このシリーズはどうしたの?」と常々思っておりまする(-_-)

■柴田さん
はじめましてだったでしょうか?
> 先日ネットオークションでピウス帝の銅貨の裏に打たれていたOPTIMOの意味を御存知の方はいらっしゃいませんか?
D.R.Shearの本をざっとみてみましたが、これはRIC827a番(Searでは4314番)のものでしょうか?
これであれば
SPQR
OPTIMO
PRINCIPI
SC
という銘文で、"OPTIMO(optimus:optimoは与格、bonus”良い”の最大級)"はaugustusさんが書かれているように
"最良の"、"最善の"という意味で、おかっぱおやぢが贈られた同音の尊称とは違って単なる形容詞のはずです。
ちなみに、上記の銘文全体の意味は
”ローマ元老院と国民は元老院決議により最善なプリンケープス(第一人者)に[この市民冠を捧げる<銘文のまわ
りに樫の葉の冠が描かれている>]”
で、逆に質問ですが、この市民冠は元来戦闘で同僚の命を救った人に贈られるはずですが、ピウス殿は何をしたので
しょう(・_・")? (このコインは147年に発行されているようですが・・・)

■IKさん
> 五賢帝
私はネルウァですかな。毎日のように好きな皇帝は変わんですが・・・(^o^;)

> カリギュラなんかも別の意味で好きです
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006F1VC/250-2524672-2397030
か、か、買われましたか?(^o^;)
私は無法者イタリア掲示板のとあるトピで紹介されていたので、即予約しちまいました。
ちなみに、私は↑の"このDVDを買った人はこんなDVDも買っています"の作品は購入して
いません。ほ、ホントですよ!(^o^;)

> 公に向けて書くのとでは全然「怖さ」が違いますね。
失礼ながら、別に学者でもジャーナリストでも流行作家でもないのですから、個人的には神経質になることはないよ
うな気がします。・・・(中略)・・・。結局、どう客観的にみても間違えなことが流布してそれが人々に信じられ
ることが多々あります。先日、最高裁判決が出た小説だったか拉致事件だったか忘れてしまいましたが、その話に絡
んだ内容で毎日新聞のコラムに『「小学校の算数では掛け算は二桁までしか教えないことにしたので円周率を3.1
4とは教えることができなくなった」というのは真っ赤な嘘で各マスコミでこのないようが大々的に報じられ・・・』
という内容の記事を見て愕然としてしまいました。何せ、普段マスコミが流す記事を全面的には信じないというスタ
ンスでいる私も騙されていたわけですから・・・。 (後略)(^o^;)

■Yのオークション
ネットのオークションに手に出すつもりはないので見ていませんでしたが、ちょっと覗いてみました(^o^)/
う〜〜〜ん よくわかりません(^o^;)
が、、、カタログに出ている価格よりもかなり高い価格で取引されているのであれば、みんな何を基にして価格を
決めているのかかなり疑問がわいてきます(-_-)

ではでは


[1210] 無題 投稿者:柴田 投稿日:2002/09/29(Sun) 20:24

○augustusさんへ

>OPTIMOの意味
OPTIMO は optimus(最良の)の変化です。どういう変化なのかはラテン語にお詳しい高島賢治さんやP.M.さんの回答を待ちましょう。
たぶん OPTIMO PRINCIPI と繋がっていたんではないかとおもうのですが、「最良の元首」ということになりますね。この銘文が現れるのはトラヤヌスが最初で沢山の例があります。アントニヌス・ピウス、セプティミウス・セウェルス、アレクサンデル・セウェルス、ガリエヌス、マキシミヌス・ダヤ、コンスタンティヌス大帝のコインにも少々の例があるようです。

そうなんですよ。
先日、ヤフー・オークションで出品されていた「ピウス帝の大きな銅貨」の銘がそれだったのです。
ローマ市民と元老院が最良の元首を決議して発行したコインだったのです。
くー、欲しかった!!銅貨の銘がSCでなく、4つもの単語を刻み、なおかつピウス帝を賞賛したモノだったとは〜!!
悔しくて腸が断ち切れそうです(笑)
何にせよ意味が解ったので今夜はぐっすり眠れそうです。ありがとうごぞいました。

>ピウス帝のデカドラクマ
属州のコインのことはほとんど何もわからないです。(^^;)
Sear の本にはアレクサンドリアのコインも掲載されていますが、デカドラクマは見つかりませんでした。カエサリアあたりで作られたものがあるのかもしれませんが、何か資料を御覧になったんですか?
いずれにせよ、テトラドラクマやディドラクマと比べて、デカドラクマは稀少なものであることは間違いないと思います。

別に何かで見たわけではなく、属州でピウス帝の即位や在位十周年等を記念して発行してないかなとおもっているだけです。
この位の大きさになれば、銀貨の肖像も銅貨並に大きくなっていて見ごたえがあると思いませんか?


[1209] ページ更新 投稿者:augustus 投稿日:2002/09/29(Sun) 19:36

「ローマコイン」のティベリウスの項目にドルススを追加しました。


[1208] Re: 真鍮貨はいずこ? 投稿者:augustus 投稿日:2002/09/29(Sun) 08:43

○柴田さん

>OPTIMOの意味
OPTIMO は optimus(最良の)の変化です。どういう変化なのかはラテン語にお詳しい高島賢治さんやP.M.さんの回答を待ちましょう。
たぶん OPTIMO PRINCIPI と繋がっていたんではないかとおもうのですが、「最良の元首」ということになりますね。この銘文が現れるのはトラヤヌスが最初で沢山の例があります。アントニヌス・ピウス、セプティミウス・セウェルス、アレクサンデル・セウェルス、ガリエヌス、マキシミヌス・ダヤ、コンスタンティヌス大帝のコインにも少々の例があるようです。

>重点的に収集しようとしているのは真鍮貨なのです。
しっかり方針が定まっているんですね。素晴らしい。

>ピウス帝のデカドラクマ
属州のコインのことはほとんど何もわからないです。(^^;)
Sear の本にはアレクサンドリアのコインも掲載されていますが、デカドラクマは見つかりませんでした。カエサリアあたりで作られたものがあるのかもしれませんが、何か資料を御覧になったんですか?
いずれにせよ、テトラドラクマやディドラクマと比べて、デカドラクマは稀少なものであることは間違いないと思います。

>欲しかったコインが売り切れで、落ち込んだときは
よほど稀少なものでない限りチャンスは何度でもあるはずです。時間が解決してくれます。
また、逆に「世界に只1つ」みたいな超稀少品の場合は手が出ない値段でしょうから放っておけば良いのです。東欧のどこかである日突然発掘されて買える値段になるかも知れないですしね。(^^)


[1207] 真鍮貨はいずこ? 投稿者:柴田 投稿日:2002/09/28(Sat) 23:15

augustusさんへ
>銅貨、銀貨でも並の金貨より高いものはありますよ。例えば、今私が欲しいと思っているのがディディウス・ユリアヌスの銀貨なんですが、金貨に負けてない値段のはずです。(だから買えない ;_;)

実は私が一番欲しいのはピウス帝のデカドラクマ(お願いです。そんな物あるハズない等と仰らないで下さい)なのですが、重点的に収集しようとしているのは真鍮貨なのです。
これがまた高価な上に数がない!!
augustusさんの充実したコレクションを拝見させていただく度にため息がでます。
欲しかったコインが売り切れで、落ち込んだときはaugustusさんのコレクションを拝見して立ち直ってます。

ところで、先日ネットオークションでピウス帝の銅貨の裏に打たれていたOPTIMOの意味を御存知の方はいらっしゃいませんか?
小生は勉強が足りませんので、気になって仕方ありません。


[1206] キリ番プレゼント 投稿者:augustus 投稿日:2002/09/28(Sat) 19:51

カウンタ70000番の方にローマコインを1枚プレゼントします。ジャスト、またはニアピンの申請はこの掲示板にお願いします。


[1205] Re: 継ぎ目ですか 投稿者:augustus 投稿日:2002/09/28(Sat) 19:41

○東尋坊さん

仰る通りで、共和政から帝政の前半くらいまでは圧倒的に銀貨が多く残っているみたいですね。
後にアントニニアヌス銀貨の銀の含有率がどんどん下がり、ついには銅貨になってしまうわけですが、そのあとは銀貨は少なくなって銅貨ばかり多く残っていますね。

>共和政のものは銀貨がほとんど。小額決済には銅貨が大量に必要であったはずです。
>銅貨はやはり腐食に弱くて残らないのか。
「戦闘の前に兵士がコインを地中に隠したものが回収されずにそのままになってしまう」という形で残されたコインが多いわけですが、少額貨幣はわざわざ埋めておこうと思わなかったとかいう事情もあったかもしれませんね。


[1204] 継ぎ目ですか 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/09/28(Sat) 11:27

エッジの部分ですか。表裏だけの写真だけだはわからないですね。
どなたか参考になる画像があったら公開してほしいですね。

ところで、ローマのコインは銀貨の残っている割合が多いように思います。
共和政のものは銀貨がほとんど。小額決済には銅貨が大量に必要であったはずです。
銅貨はやはり腐食に弱くて残らないのか。
帝政期のものでも、銅貨の方が高い時がある。


[1203] Re:続 真贋の件 投稿者:augustus 投稿日:2002/09/28(Sat) 09:36

○東尋坊さん

> エッジ部分の跡はどういうふうになりますか?
表と裏を別々に作るようなので、継ぎ目が出来るそうです。だから、継ぎ目が見えるか、継ぎ目を削った跡が見えるかどちらかだと思います。
実例になる画像をどこかで見たような気がするんですが、見つかりませんでした。


[1202] 無題 投稿者:高島賢治 投稿日:2002/09/27(Fri) 19:23

下記書籍が10月22日新刊予定。
●『古代哲学への招待』 平凡社新書 八木雄二 予価 \760+税
 パルメニデスの「世界知」か?ソクラテスの「自己知」か?画期的な西洋古代哲学入門。

下記書籍が出ました。情報を追加して再掲。
●『シチリア 〈南〉の再発見』 淡交社 陣内秀信 \2,400+税
 近年になりよみがえったギリシャ都市、タオルミーナやシラクーザ、迷宮都市シャッカ、古代の聖地エリチェなど、個性豊かな町を読み解き、
 歴史的な都市空間の楽しさを再発見する。「南の価値」を辿るシチリアへの旅。<著者>1947年福岡県生まれ。法政大学工学部建築学科教授。イ
 タリア建築・都市史専門。サントリー学芸賞、建築史学会賞、地中海学会賞受賞。著書に「都市の空間人類学」「都市の地中海」など。


[1201] 続 真贋の件 投稿者:東尋坊 投稿日:2002/09/26(Thu) 22:58

augustusさんへ
真贋の件についてありがとうございます。
castの肌荒れや型割れの筋・バリはわかります。型打ちでは見られない跡があります。
それと、異常にピカピカしているものも。
以下の件がよくわからなかったのです。教えて下さい。
>3.エレクトロ・コピーされたもののエッジ部分にその跡が見えることがある。
エッジ部分の跡はどういうふうになりますか?
あ、回答が難しいようでしたら、お返事は結構です。


[1200] auction 投稿者:augustus 投稿日:2002/09/26(Thu) 22:36

○柴田さん
「希望価格」はあくまでも「希望」ですから、相場より遥かに高い値段であってもとりあえず文句は言えないでしょうね。
そして、「希望価格」が法外なのはまだいいんですよ。以前はスタート価格が法外なものも結構見ました。(Yahoo auction の有料化の頃からそういうのは見かけないような気がしますが。)

>それだけの金を出せば金貨が買えるじゃないですか。
銅貨、銀貨でも並の金貨より高いものはありますよ。例えば、今私が欲しいと思っているのがディディウス・ユリアヌスの銀貨なんですが、金貨に負けてない値段のはずです。(だから買えない ;_;)


○高島賢治さん
>サクラが入札価格を上げている可能性もあるので、
本当、本当。(ひょっとしたら出品者本人かもしれない。)


○東尋坊さん
>話は違いますが、コイン店もひでえよ、ネットのカタログのほとんどが売り切れだなんて。
新しいカタログが出てすぐでないとほとんど買えないようですね。
海外のプロウィンキアに住んでる私なんか、カタログが着いたときには面白そうなものはもう売り切れってケースも少なくありません。(;_;)


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